【15件掲載】
古都京都の文化財(京都) | ||
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(2)、(4) | 登録年:1994年 |
古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)(こときょうとのぶんかざい(きょうとし、うじし、おおつし))は、その名が示すように京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件から成るユネスコの世界遺産リスト登録物件(文化遺産)です。1994年に日本で5件目の世界遺産として登録されました。正式名称には3市の名前が含まれており、文化庁の表記や日本ユネスコ協会連盟の表記はそうなっていますが、しばしば市名の部分を省略して、単に「古都京都の文化財」と呼ばれます。点在する17か所の寺社と城郭で構成されています。現在の構成遺産は、国宝建造物があるか、庭園が特別名勝に指定されているものだけで構成されています(清水寺の一部として指定されている地主神社(重要文化財)・延暦寺の一部として指定されている比叡山(史跡・一部は天然記念物)を除く)。一部は特別史跡にも指定されています。 《構成遺産17件》 @賀茂別雷神社(上賀茂神社)(京都市北区):古代山城の豪族賀茂氏の氏神として知られる神社。賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに平安時代以降「山城国一之宮」となりました。 A賀茂御祖神社(下鴨神社)(京都市左京区):本殿は、賀茂別雷神社の祖父神と母である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依媛命(たまよりひめのみこと)を祀っています。 B教王護国寺(東寺)(京都市南区):東寺は正しくは教王護国寺といい、平安建都の際、都の南玄関、羅城門の東に作られました。後に空海が賜り、密教の根本道場(こんぽんどうじょう)とし、今に至っています。 C清水寺(京都市東山区):奈良末期778年に僧延鎮が開山し、平安建都間もない延暦17年(798年)坂上田村麻呂が仏殿を建立したと伝わっています。現在の建物の多くは、寛永8年から10年(1631年から1633年)、徳川家光の寄進によって再建されたものです。 D延暦寺(滋賀県大津市坂本本町・京都市左京区):延暦7年(788年)、比叡山に伝教大師・最澄が一乗止観院(現在の根本中堂)を建立して以来1,200年余りにわたって日本仏教の核心を育んできました。 E醍醐寺(京都市伏見区):空海の孫弟子理源大師聖宝が醍醐山上に草庵を営んだのに始まります。現存する堂宇のほとんどは桃山時代以降のもので、どっしりと落ちついた五重塔(国宝)は天暦6年(952年)の建立で、府内最古の木造建築物です。 F仁和寺(京都市右京区):宇多天皇が仁和(にんな)4年(888年)に創建して以来、法親王が住持し「御室御所」と呼ばれました(御室とは、「皇室の住居」の意味)。 G平等院(宇治市):風光明媚な宇治で、藤原一族の栄華を今に伝える平等院は、宇治川の西岸にあった源重信の別荘をその夫人から藤原道長が譲り受け、その子頼通が永承7年(1052年)、寺に改めたものです。 H宇治上神社(宇治市):菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇を祀っています。本殿は日本最古の神社建築です。 I高山寺(京都市右京区):13世紀初めに明恵上人が再建した寺院です。栂尾山(とがおやま)にあり、後鳥羽上皇から「日出先照高山之寺」の勅願を得たことで知らています。 J西芳寺(苔寺)(京都市西京区):奈良時代、行基の開創と伝えられる古刹で、暦応2年(1339年)に造園にすぐれた夢窓国師が復興しました。 K天龍寺(京都市右京区):後嵯峨天皇の亀山離宮があったところに、暦応2年(1339年)、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓国師を開山として創建した禅寺です。 L鹿苑寺(金閣寺)(京都市北区):足利義満が応永4年(1397年)西園寺家の山荘を譲り受け「北山殿」と呼ぶ別邸をおきました。義満の死後、鹿苑寺と名付け、寺としました。 M慈照寺(銀閣寺)(京都市左京区):東山文化の代表として知られる銀閣寺の正式名称は、慈照寺です。足利義政が文明14年(1482年)に開いた山荘です。義政はここを拠点に様々な文化を育みました。 N龍安寺(京都市右京区):細川勝元が宝徳2年(1450年)に徳大寺家の別荘を譲り受けて建立した寺です。 O本願寺(西本願寺)(京都市下京区):親鸞聖人の没後、娘の覚信尼が現在の知恩院付近に廟を建てて御影堂としたのが起こりとされ、現在の場所に移ったのは、天正19年(1591年)になります。 P二条城(京都市中京区):徳川幕府における京都の拠点となった二条城は、徳川家康が慶長8年(1603年)に京の宿館として建設した平城です。家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、幕末の慶応3年(1867年)には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行いました。 |
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賀茂別雷神社(上賀茂神社)(2008年07月撮影) 賀茂御祖神社(下鴨神社)(2009年07月撮影) 教王護国寺(東寺)(2007年04月撮影) 清水寺(2007年04月撮影) 延暦寺(2020年11月撮影) 醍醐寺(2009年04月撮影) 仁和寺(2015年04月撮影) 平等院(2002年04月撮影) 宇治上神社(2011年01月撮影) 天龍寺(2011年04月・2012年11月撮影) 鹿苑寺(金閣寺)(2005年12月撮影) 慈照寺(銀閣寺)(2014年02月撮影) 龍安寺(2006年04月撮影) 本願寺(西本願寺)(2013年05月撮影) 二条城(2006年04月撮影) 西芳寺(2021年06月撮影) 高山寺(2021年11月撮影) |
古都奈良の文化財(奈良) | ||
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(2)、(3)、(4)、(6) | 登録年:1998年 |
1998年に世界文化遺産に登録された古都奈良の文化財は、東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡からなり、登録された遺産のほとんどが、平城京との関わりを深く持ち、隆盛した往時の面影を今も伝えています。春日大社と春日山原始林など自然と調和した景観や、平城宮跡のような地中に埋もれた遺跡など特色ある遺産です。また、中国大陸や朝鮮半島との文化的交流を示す建造物や宝物も数多くあります。 |
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東大寺(2006年04月撮影) 興福寺(2006年04月撮影) 春日大社(2008年05月撮影) 春日山原始林(2007年04月撮影) 元興寺(2020年10月撮影) 薬師寺(2020年10月撮影) 唐招提寺(2020年10月撮影) 平城宮跡(2010年11月撮影) |
国立西洋美術館(東京) | ||
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(1)、(2)、(6) | 登録年:2016年 |
東京都上野公園にある国立西洋美術館・本館は、フランス政府が日本を含む7か国と共同で推薦していた「ル・コルビュジエの建築作品(7か国17作品)」の1作品として、「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」という名称で他の16作品とともに一括して、 2016年、文化遺産に登録されました。ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献- はル・コルビュジエの作品は、人類の創造的才能を表す傑作であること、ル・コルビュジエは、新しい建築の概念を広め、20世紀における世界中の建築に大きな影響を与えたことなどが評価されました。国立西洋美術館はル・コルビュジエが日本に残した唯一の建築作品であり、日本における近代建築運動に大きく貢献したこと、ル・コルビュジエが提唱した近代建築の五原則を表現し「無限発展美術館」の思想を体現していることなどが評価されました。国境をまたいだ世界遺産(トランス・バウンダリー・サイト)としては日本では初登録、大陸をまたいだ世界遺産(トランス・コンチネンタル・サイト)としては世界で初登録となりました。構成資産は7か国に現存する17建造物となります。 | ||
国立西洋美術館(2004年01月撮影) |
石見銀山(島根) | ||
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(2)、(3)、(5) | 登録年:2007年 |
「石見銀山遺跡とその文化的景観」は、平成19年7月第31回世界遺産委員会で世界文化遺産に登録されました。 世界遺産は14の資産で構成され、面積は529.17ha、それぞれ「銀鉱山跡と鉱山町」、「港と港町」、「街道」の3つの分野に分類されます。 「銀鉱山跡と鉱山町」は、16世紀から20世紀にかけて採掘から製錬まで行われた鉱山跡を中心として、銀の生産及びこれに関連する生業に携わった人々の居住地区、これらを軍事的に守った周囲の山城跡から成ります。(現在居住地区として残るのは、「大森」と「銀山」です。この区域は、江戸時代に鉱山を囲った柵の内外を区分して呼称したことに由来し、現在も谷のおよそ西半の地域を「銀山」地区、東半を「大森」地区と呼んで区分しています。) 「街道」は、銀鉱山と港との間を結び、銀鉱石及び銀をはじめ諸物資を輸送した2本の運搬路から成ります。 「港と港町」は、銀鉱石及び銀を積み出し、銀山で必要とされる諸物資を搬入した港湾とその関連施設、搬出入に関わった人々の居住地区から成っています。 | ||
石見銀山(2007年09月撮影) |
日光の社寺(栃木) | ||
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(1)、(4)、(5) | 登録年:1999年 |
1999年(平成11年)12月2日、モロッコのマラケシュで開かれていた第23回世界遺産員会が、二社一寺(日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社)の建造物と境内地からなる「日光の社寺」を日本で10番目の世界遺産に指定しました。(登録は12月4日)世界遺産に登録された「日光の社寺」の登録遺産は、日光山内にある建造物群103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)とそれら建造物群及び周辺の自然環境が一体となって形成する文化的景観。社寺の境内や、社寺と調和した周辺の山林を含む資産面積は50.8ヘクタールにもなります。「日光の開山は天平神護2年(766年)です。男体山を極めるために大谷川を渡った勝道上人が紫雲の立ち上る霊地を見て小さな庵を結んだことに始まります。ここを拠点にさらなる修行を重ねた上人は,天応2年(782年)ついに男体山を極めるに至りました。翌年,再び高峰の頂を踏んだ上人は,眼下に広がる湖のほとりへと降り立ち,弟跡は,三峰五禅頂,あるいは船禅頂として,上人の苦難を追体験する行事として確立されました。こうして日光は,国内有数の山岳信仰の霊山として,全国から多くの修行者を集めるに至りました。今では徳川家康公・家光公を初めとする徳川家ゆかりの寺社のイメージが強い日光ですが,もともとは日本に古くから伝わる山岳信仰の聖地,霊山として始まり,その信仰を基礎にしているのです。開山から1250年を超える長い歴史のなかで,広く信仰を集めた日光には,多くの霊宝が納められました。 | ||
日光の社寺(2003年07月撮影) |
姫路城(兵庫) | ||
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(1)、(4) | 登録年:1993年 |
日本の世界遺産条約締約は1992年(平成4年)のことであり、姫路城はその年の10月1日に正式推薦されました。世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) は推薦に先立つ同年9月と、推薦後の1993年(平成5年)4月と8月に現地調査を行ないました(なお、これとは別に後述するオーセンティシティの評価のため、ICOMOS事務総長が同年5月に視察しました)。その結果を踏まえ、同年10月に「登録」が勧告されました。そこで評価されたのは、木造建築物として、白漆喰の城壁を持つ優れた美と実用的機能を兼ね備えていること。明治以前の封建制度の象徴であること。日本の木造城郭建造物として最高のものであること。といった点でありました。そして、同年12月の第17回世界遺産委員会(カルタヘナ)で、「法隆寺地域の仏教建造物」とともに日本初の世界文化遺産として正式登録されました。資産としての登録地域は、中曲輪より内側となっており、その範囲は特別史跡指定地域と重なっています。さらにその周囲が緩衝地域(バッファーゾーン)に指定されています。従来、緩衝地域の規制は緩やかなものでしたが、1993年に中壕通り都市景観形成地区(都市景観条例による)が指定され、2008年には資産部分を含め、姫路城周辺風景形成地域の指定が行われました。2012年の第36回世界遺産委員会に際して、登録範囲の明確化が行われました。この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録されました(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用です)。 (1) 人類の創造的才能を表現する傑作である。
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姫路城《平成の修理以前》(2003年04月撮影) 姫路城《平成の修理以降》(2016年04月撮影) |
百舌鳥・古市古墳群(大阪) | ||
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(3)、(4) | 登録年:2019年 |
アゼルバイジャンの首都、バクーで開催中された国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会で世界最大級の墳墓である「仁徳天皇陵古墳」(大山(だいせん)古墳)を含む「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を世界文化遺産に登録するとが決定しました。天皇や皇族の墓として宮内庁が管理する「陵墓」の登録は初めてです。日本国内の世界遺産は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎県、熊本県)に続き23件目で、7年連続での登録となりました。大阪で初の世界遺産となる百舌鳥・古市古墳群は、百舌鳥エリア(堺市)と古市エリア(羽曳野市、藤井寺市)にある計49基の古墳で構成されています。4世紀後半から5世紀後半、大陸と行き来する航路の発着点だった大阪湾を望む場所に築造され、墳丘の長さが486メートルもある国内最大の仁徳天皇陵古墳や425メートルの応神天皇陵古墳(誉田御廟山=こんだごびょうやま=古墳)など大規模な前方後円墳が集中しています。 ほかに数十メートルの円墳や方墳、帆立て貝形など多様な規模と形状を持つ古墳があり、被葬者の身分や権力を示すとされます。このうち陵墓は29基で、ユネスコ諮問機関のイコモスが、「傑出した古墳時代の埋葬の伝統と社会政治的構造を証明している」として登録を勧告していました。 一方、イコモスでは「都市における開発圧力が懸念される」とも指摘しており、今後は住宅地に密接する古墳の厳正な保存管理が求められることになります。陵墓も含まれるため、観光客の受け入れ態勢をどう整えていくかも課題になりそうです。 | ||
百舌鳥・古市古墳群(2003年04月撮影) |
富士山-信仰の対象と芸術の源泉(静岡・山梨) | ||
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(3)、(6) | 登録年:2013年 |
静岡県と山梨県にまたがる富士山は、言わずと知れた日本一の名山です。長きにわたる噴火活動によって形成された円錐型のバランスは世界屈指の美しさを誇り、「富士山を世界遺産に!」というのは日本の悲願でした。ゴミの投棄などの環境管理問題が長年のネックになっていましたが、清掃活動や“文化遺産”としての価値をアピールする活動が結実しました。「富士山本宮浅間大社」や「河口湖」、40km以上離れた場所にある景勝地「三保の松原」など25の構成資産とともに、2013年6月に世界遺産に登録されました。世界遺産としての正式な登録名は「富士山─信仰の対象と芸術の源泉」です。“霊峰”という呼称が示しているように、古来より富士山は、その荘厳な存在感により「富士信仰」として人々から崇め奉られてきました。火山活動が沈静化してからは、遠くから眺めて拝むだけでなく、実際に登頂して御来光を拝むといった“登拝”スタイルが浸透します。これは現代人にも受け継がれています。また富士山は、日本最古の歌集である『万葉集』や、『竹取物語』や『伊勢物語』といった古典文学、あるいは葛飾北斎の『冨岳三十六景』や歌川広重の『東海道五十三次』など、古代から現代に至るまで様々な芸術にインスピレーションを与え続けてきました。また、浮世絵に描かれた富士山は、海を越えてモネやゴッホといった芸術家たちにも大きな衝撃を与えました。こういった文化遺産としての側面が、世界遺産登録の大きな要因になりました。 | ||
富士山-信仰の対象と芸術の源泉(2004年02月撮影) |
平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園 及び考古学的遺跡群(岩手) |
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(2)、(6) | 登録年:2011年 |
平泉は、12世紀日本の本州北部において、仏教に基づく理想世界の実現を目指して造営された政治・行政上の拠点です。仏堂・浄土庭園をはじめとする構成資産は、6世紀から12世紀の間に中国大陸から日本列島の最東端へと伝わる過程で日本に固有の自然崇拝思想とも融合しつつ独特の性質を持つものへと展開を遂げた仏教、その中でも特に末法の世が近づくにつれ興隆した阿弥陀如来の極楽浄土信仰を中心とする浄土思想に基づき、現世における仏国土(浄土)の空間的な表現を目的として創造された独特の事例である、と評価されています。それは、浄土思想を含む仏教の伝来・普及に伴い、寺院における建築・庭園の発展に重要な影響を与えた価値観の交流を示しており、地上に残っているものだけでなく、地下に残る遺跡も含め、建築・庭園の分野における人類の歴史の重要な段階を示す傑出した類型です。さらに、そのような建築・庭園を創造する源泉となり、現世と来世に基づく死生観を育んだ浄土思想は、今日における平泉の宗教儀礼や民俗芸能にも確実に継承されています。 仏国土とは、仏の国又は仏の世界のことであり、菩薩の誓願と修行によって建てられた国をも指すものです。浄土は、通常、阿弥陀如来の極楽浄土のことを指すと考えられやすいですが、東アジアの仏教においては、絶対永遠の仏の悟りの世界、高位や下位の菩薩の世界、凡夫と聖人とが同居する世界などが一体として存在し、そのすべてを浄らかな仏国土(浄土)とすることができると捉えられました。特に、6世紀から12世紀にかけて発展を遂げた日本独特の仏教では、現世に究極の仏の理想世界である仏国土(浄土)を実現できると理解されました。 平泉の建築・庭園及び考古学的遺跡群は、日本の自然崇拝思想とも融合しつつ独特の性質を持つものへと展開を遂げた仏教、その中でも特に末法の世が近づくにつれて興隆した阿弥陀如来の極楽浄土信仰を中心とする浄土思想に基づき、現世における仏国土(浄土)の表現を目的として創造されました。 |
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富平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産群(2005年08月撮影) |
法隆寺地域の仏教建造物群(奈良) | ||
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(1)、(2)、(4)、(6) | 登録年:1993年 |
法隆寺地域の仏教建造物(ほうりゅうじちいきのぶっきょうけんぞうぶつ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺および法起寺の建造物から構成されるユネスコの世界遺産(文化遺産)です。 姫路城とともに日本初の世界遺産として登録されました。この遺産には法隆寺の建造物47棟と法起寺の三重塔を加えた48棟が含まれています。法隆寺をはじめとするこの地域の仏教建築物は聖徳太子と縁が深く、中国の六朝時代の建築の影響を多大に受けています。特に、法隆寺の西院伽藍は、建築年代に諸説あるが世界最古の木造建築として国際的にも著名です。法隆寺地域には世界最古の木造建築が数多く残っています。7世紀に法隆寺・法起寺ほかの仏教寺院が造営され、これらの寺院では現在も宗教活動が続けられています。法隆寺は、7世紀初期に創建がはじまり、現在の伽藍は西院及び東院と子院群で構成されています。西院は7世紀後半から8世紀初頭にかけて再建されたもので、東院は8世紀前半に建設されたものです。西院の主要建物である金堂・五重塔・中門・回廊は、中国や朝鮮にも残存しない初期の仏教建築様式であり、両院のほかの主要建物は主に8世紀から13世紀に建てられたものです。両院の周囲にある子院は12世紀ごろに建築が始まり、しだいにその数を増やしました。17世紀から18世紀にかけての建物も多く、日本の仏教寺院建築の変遷を窺うことのできる文化遺産が集約されている地域と言えます。 法起寺は7世紀に創建された寺院ですが、いまは706年に完成した三重塔のみが残っており、法隆寺西院と同様、初期の仏教建築様式による建物です。 |
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法隆寺(2008年04月撮影) 法起寺(2008年04月撮影) |
富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬) | ||
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(2)、(4) | 登録年:2014年 |
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、平成19年1月世界遺産暫定一覧表に追加記載されました。その後、平成24年8月には日本政府が「富岡製糸場と絹産業遺産群」の推薦を決め、ユネスコ世界遺産センターへ推薦書が提出されました。(暫定版:平成24年9月提出、正式版:平成25年1月提出) 提出された推薦書にもとづいて、世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS:イコモス)が書類審査をおこない、平成25年9月には、現地調査が実施されました。 平成26年4月にはイコモスより「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、「世界遺産一覧表」への記載が適当である旨、いわゆる「登録」の勧告がありました。そして、同年6月カタールのドーハで開かれた第38回世界遺産委員会で「富岡製糸場と絹産業遺産群」は「世界遺産一覧表」へ記載され、世界遺産登録となりました。 「富岡製糸場と絹産業遺産群」の顕著な普遍的価値 「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、長い間生産量が限られていた生糸の大量生産を実現した「技術革新」と、世界と日本との間の「技術交流」を主題とした近代の絹産業に関する遺産です。日本が開発した生糸の大量生産技術は、かつて一部の特権階級のものであった絹を世界中の人々に広め、その生活や文化をさらに豊かなものに変えました。
評価基準(A)高品質生糸の大量生産をめぐる日本と世界の相互交流 ・明治政府による高品質生糸の大量生産のための近代西欧技術導入。
・日本国内での養蚕・製糸技術改良の促進。 ・日本の高度な養蚕・製糸技術の海外移転による世界の絹産業の発展。 評価基準(C)世界の絹産業の発展に重要な役割を果たした技術革新の主要舞台 ・器械製糸から自動繰糸機での製糸技術の発達を伝える富岡製糸場。
・革新的な養蚕技術の開発とその普及を伝える建築物・工作物の代表例。 |
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富岡製糸場(2014年11月撮影) |
紀伊山地の霊場と参詣道(和歌山) | ||
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(2)、(3)、(4)、(6) | 登録年:2004年 |
紀伊山地は太平洋に張り出した紀伊半島の大部分を指し、標高1,000〜2,000m級の山脈が東西あるいは南北に走り、年間3,000mmを超える豊かな雨水が深い森林を育む山岳地帯です。紀伊山地は、神話の時代から神々が鎮まる特別な地域と考えられていました。 また、仏教も深い森林に覆われたこれらの山々を阿弥陀仏や観音菩薩の「浄土」に見立て、仏が持つような能力を習得するための修行の場としました。その結果、 紀伊山地には、起源や内容を異にする「熊野三山」、「高野山」、「吉野・大峯」の三つの霊場とそこに至る「参詣道」が生まれ、都をはじめ各地から多くの 人々の訪れる所となり、日本の宗教・文化の発展と交流に大きな影響を及ぼしました。 『紀伊山地の霊場と参詣道』は、三重、奈良、和歌山の三県にまたがる「紀伊山地の自然」がなければ成立しなかった「霊場」と「参詣道」及びそれらを取り巻く「文化的景観」が主役であり、世界でも類を見ない資産として価値が高いものです。 「熊野三山」、「高野山」、「吉野・大峯」は、古代以来、自然崇拝に根ざした神道、中国から伝来し我が国で独自の展開を見せた仏教、その両者が結びついた 修験道など多様な信仰の形態を育んだ神仏の霊場であり、熊野参詣道、高野参詣道、大峯奥駈道などの参詣道とともに広範囲にわたって極めて良好に遺存して いる比類のない事例であると言えます。 また、それらが今も連綿と民衆の中に息づいている点においても極めて貴重な資産と言えます。 |
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吉野山(2004年04月撮影) 高野山(2004年08月撮影) 熊野古道(2014年07月撮影) 那智大滝(2014年07月撮影) 熊野那智大社(2014年07月撮影) 補陀洛山寺(2014年07月撮影) 熊野本宮大社(2014年07月撮影) 熊野速玉大社(2014年07月撮影) |
原爆ドーム(広島) | ||
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(6) | 登録年:1996年 |
原爆ドームは、大正4年(1915年)に広島県内の物産品の展示・販売をする施設として建てられ、広島県美術展覧会や博覧会も催されていました。設立当初は 「広島県物産陳列館」という名称でしたが、その後「広島県立商品陳列所」、昭和8年(1933年)には「広島県産業奨励館」に改称されています。設計者はチェコの建築家ヤン・レツル氏で、構造は一部鉄骨を使用した煉瓦造、石材とモルタルで外装が施されていました。 全体は3階建で、正面中央部分に5 階建の階段室、その上に銅板の楕円形ドーム(長軸約11メートル、短軸約8メートル、高さ4メートル)が載せられていました。その頃の広島は、都心部のほとんどは木造2階建ての建築であり、、こうした大胆なヨーロッパ風の建物は非常に珍しく、川面に映えるモダンな美しさ とあいまって広島名所の一つに数えられていました。 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。人類史上最初の原子爆弾が炸裂したのは、広島県産業奨励館から南東約160メートル、高度約 600メートルのところです。爆風の圧力は1平方メートルあたり35トン、風速は440メートルという凄まじいもので、建物は爆風と熱線を浴びて大破し、 天井から火を吹いて全焼。爆風がほとんど垂直に働いたため、本館の中心部は奇跡的に倒壊を免れたものの、館内にいた人はすべて即死しています。戦後、旧産業奨励館の残骸は、頂上の円蓋、鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました。 昭和28年(1953年)に広島県から広島市に譲渡され、昭和41年(1966年)7月には広島市議会が原爆ドームの保存を決議を行い、その後、風化が進み、国内外での善意の募金により3回の大規模な保存工事が行われました。また、世界遺産リストへの登録を求めて、市や市議会、広範な市民運動の結果、平成7年(1995年)6月に国の史跡に指定され、文化庁からユネスコに登録申請。平成8年(1996年)12月、世界文化遺産へ登録されました。 |
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原爆ドーム(2014年08月撮影) |
明治日本の産業革命遺産 (山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡) |
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登録区分:文化遺産 | 登録基準:(2)、(4) | 登録年:2015年 |
明治日本の産業革命遺産(めいじにほんのさんぎょうかくめいいさん)は、 ●九州、山口を中心に進められた日本の近代化は、西洋先進諸国からの積極的な技術導入によって進められ、それらの国との文化の交流がうかがわれること ●鎖国状態にあった日本において、非西洋地域で初めて、約50年間という短期間で飛躍的な経済的発展を成し遂げた産業遺産群は、その歴史上の重要な段階を物語る優れた科学技術の集合体であること などが評価され、2015年、文化遺産に登録されました。 構成資産は、岩手県から鹿児島県にまたがる次の8エリアに点在する幕末の1850年代から明治末期の1910年までの23資産になります。 登録地域の面積は、構成資産 306.66ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 2,408.33ヘクタールになります。 萩(5) 1.萩反射炉 2.恵美須ケ鼻造船所跡 3.大板山たたら製鉄遺跡 4.萩城下町 5.松下村塾 鹿児島(3) 6.旧集成館(旧集成館反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館) 7.寺山炭窯跡 8.関吉の疎水溝 韮山(1) 9.韮山反射炉 釜石(1) 10.橋野鉄鉱山 佐賀(1) 11.三重津海軍所跡 長崎(8) 12.小菅修船場跡 13.三菱長崎造船所第三船渠* 14.三菱長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン* 15.三菱長崎造船所旧木型場 16.三菱長崎造船所占勝閣* 17.高島炭鉱 18.端島炭鉱 19.旧グラバー住宅 三池(2) 三池炭鉱・三池港(三池炭鉱宮原坑、三池炭鉱万田坑、三池炭鉱専用鉄道敷跡、三池港) 三角西港八幡(2)官営八幡製鉄所(八幡製鐵所旧本事務所*、八幡製鐵所修繕工場*、八幡製鐵所旧鍛冶工場*) 遠賀川水源地ポンプ室*登録地域の面積は、構成資産307ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 2,408ヘクタール。 |
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韮山反射炉(2015年07月撮影) 端島炭鉱(軍艦島)(2012年10月撮影) 官営八幡製鐵所(2015年06月撮影) 遠賀川水源地ポンプ室(2015年06月撮影) 旧集成館(2007年06月撮影) 三池炭鉱・宮原坑(2016年06月撮影) 三池炭鉱・万田坑(2016年06月撮影) 三池炭鉱・専用鉄道敷跡(2016年06月撮影) 三池港(2016年06月撮影) |