マクロの世界


(03)淡路島
(面積順位:第5位)



●場所海域:瀬戸内海 ●位置:北緯34度09分-34度36分
    東経134度39分-135度01分
●所属群島:ー ●面積:592.26km2
●面積順位:第5位(本4島・択捉・国後除く) ●長さ:ー
●最大幅:ー ●海岸線長:203km
●最高標高:608m(諭鶴羽山) ●最高峰:諭鶴羽山(608m)
●所属都道府県:兵庫県 ●最大都市:淡路市
●島の人口:約143,000人(2010年10月1日)

北東から南西へかけて細長く伸びる淡路島は南北約53km、東西約22km、周囲約203kmで、北部では幅5kmから8kmと細く南部で幅が拡がっています。シンガポール島とほぼ同じ面積を有し、沖縄本島、佐渡島、大島、対馬についで第5位の面積を持っています。大阪湾、播磨灘、紀伊水道に四周を囲まれ、北端の松帆崎で明石海峡に、南東端の生石鼻で紀淡海峡に、南西端の門崎(とさき)で鳴門海峡にのぞみ、本州四国連絡道路の神戸・鳴門ルートで本州・四国と繋がってます。北部と南部の淡路山地と中南部の淡路平野に分けられ、北東部と南部の山地急斜面は海岸まで迫っています。また周囲の主な属島には紀淡海峡の成ヶ島、紀伊水道の沼島があります。歴史的には記紀の日本列島の国産みの神話では、淡路島は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が日本列島中、最初に創造した島であると言われています。『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれ、『日本書紀』では、淡路洲と書かれています。「阿波への道」が語源と言われることが多いですが『古事記』・『日本書紀』の記述を絶対視するならば、最初にできた国が淡路島とあり矛盾することになります。淡という漢字は淡海(近江)、淡河、淡谷など自然を表す字と組み合わされることが多いようです。「路」や「道」は現代で言うところの「地」であったと考えられ、最初に国として完成することができた尊い土地という意味で「淡路(淡道)」と名づけられたものと思われます。古代から平安時代まで御食国(みけつくに)として皇室・朝廷に(にえ)を貢いだとされています。『延喜式』によると、淡路国は旬料・節料として「雑魚」を贄として納めることが記載されています。江戸時代には徳島藩の知行地となりました。天明2年(1782年)には島内最大の百姓一揆(強訴)である「縄騒動」が起こっています。広田宮村の才蔵らが先導したとのことです。騒動は暴力事件に至らず役人の罷免で収束しましたが、首謀者は強訴の責任を取らされて処刑されたました。明治維新期の廃藩置県によって徳島藩は名東県に改組されたましたが、庚午事変(稲田騒動)が遠因となって1876年(明治9年)8月21日に名東県が分割されると、淡路島は兵庫県に編入されました。以来、近畿地方の一角として発展しています。


淡路島(2002年03年10年13年撮影)