【部埼灯台】
部埼(へさき)灯台 (日本灯台50選) |
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灯 台 の 概 要 |
●航路識別番号:0715[F7397] | ●位置:北緯33度57分34秒 東経131度01分22秒 |
●所在地:北九州市門司区大字田野浦 | ●塗色・構造:白色塗装、塔形、石造(花崗岩) | |
●レンズ:第3等小型フレネル式 | ●灯質:連成不動単閃白光 毎15秒に1閃光 | |
●実効光度:閃光 180000 cd | ●光達距離:閃光 17海里(約32km) | |
●明弧:全弧 | ●塔高:9.7 m (地上・塔頂) | |
●灯火標高:39.0 m (平均海面 - 灯火) | ●初点灯:1871年1月22日 | |
●管轄:海上保安庁門司海上保安部 | ||
部埼灯台(へさきとうだい)は福岡県北九州市門司区企救半島の北東端、瀬戸内海周防灘に面した小高い丘の部埼に立つ石造の大型灯台です。大政奉還により江戸幕府最後の年となった慶応3年4月(1867年)、兵庫開港に伴う外国船の安全航行を確保するため、幕府がイギリスとの間で締結した大坂約定(大坂条約)で設置を約束した五カ所の灯台の一つです。明治新政府が事業を引き継ぎ、「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、1872年に関門海峡の東・周防灘口の九州側の位置に建設されたものです。現在、関門航路及び門司港の東南端となっています。この灯台は、歴史的文化財的価値が高いAランクの保存灯台で日本の灯台50選にも選ばれています。 |
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部埼灯台(2014年03月撮影) |
【白州灯台】
白州灯台 (日本灯台50選) |
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灯 台 の 概 要 |
●航路識別番号:5544 | ●位置:北緯33度59分01秒 東経130度47分30秒 |
●所在地:福岡県北九州市 | ●塗色・構造:白地に黒横帯3本塗、塔形、 上部鉄造・下部石造 |
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●レンズ:375mmレンズ | ●灯質:単閃白光 毎4秒に1閃光 | |
●実効光度:閃光640cd | ●光達距離:閃光8海里(約17km) | |
●明弧:全度 | ●塔高:16.7 m (地上・塔頂) | |
●灯火標高:16 m (平均海面 - 灯火) | ●初点灯:1873年9月1日 | |
●管轄:第七管区海上保安本部(若松海上保安部) | ||
白州灯台(しらすとうだい)は福岡県北九州市小倉北区の沖合い、日本海・響灘中にある藍島(あいのしま)の西方約2km(若松区の北沖合い約 5 km)にある岩礁「白州」に立つ上部鉄造・下部石造の灯台。関門海峡北側の浅瀬・暗礁の多いこの地帯では江戸時代から海難事故が頻発していた。幕末の文久年間に小倉藩海上御用掛難破船支配役に任命されていた豊前国企救群長浜浦(現在の北九州市小倉北区長浜町)の庄屋であった岩松助左衛門が灯台の建設を決意し、独力で建設に着手。基礎工事が完成した時点で明治政府に引き継がれ、1873年(明治6年)に初代の木造灯台が完成した。当初は白色塗りであったが、1876年(明治9年)に白帆と区別しやすいように白黒の塗りわけに変更された。その後、現在の上部鉄造・下部石造に改築されたが、白黒の塗りわけは引き継がれた。この灯台は日本の灯台50選に選ばれている。 | ||
白州灯台(2015年06月撮影) |
都井岬灯台 (日本の灯台50選) |
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灯 台 の 概 要 |
●航路識別番号:6710 [F4860] | ●位置:北緯31度22分03秒 東経131度20分45秒 |
●所在地:宮崎県串間市 | ●塗色・構造:白色、塔形、コンクリート造 | |
●レンズ:第3等大型フレネル式 | ●灯質:単閃白光毎15秒に1閃光 | |
●実効光度:53万 cd | ●光達距離:23.5海里(約44km) | |
●明弧:198度 - 97度 |
●塔高:15.3 m (地上 - 塔頂) | |
●灯火標高:255.30 m (平均海面 - 灯火) | ●初点灯:1929年12月22日 | |
●管轄:第十管区海上保安本部 | ||
宮崎県の最南端に位置し、海の青さと岬の緑に囲まれた、白亜の美しい灯台です。昭和4年(1929年)5月16日に起工、同年12月22日完成し初点灯されました。当時の光源は、1300カンデラの石油ランプでしたが、昭和19年7月に電化され300万カンデラと東洋一の光度を持つ灯台となりました。昭和20年空襲、25年台風による災害に遭遇し、建設当時のものはコンクリートの灯塔だけとなりました。しかし、この灯台は昔と同様に屋根を陸屋根として周囲に欄干を設け、灯塔から出入りする屋上庭園となっており、当時から斬新な設計として注目を集めています。また、現在も航行する船舶の目印として活躍中です。 | ||
都井岬灯台(2007年07月撮影) |
【大瀬埼灯台】
大瀬埼灯台 (日本の灯台50選) |
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灯 台 の 概 要 |
●航路識別番号:6161 [F5002] | ●位置:北緯32度36分45.8秒 東経128度35分59.9秒 |
●所在地:長崎県五島市 | ●塗色・構造:白色・円筒形 | |
●レンズ:無等 | ●灯質:閃白光・毎10秒を隔てて1閃光 | |
●実効光度:200万 cd | ●光達距離:23.5海里 | |
●明弧:301度 - 175度 |
●塔高: m (地上 - 塔頂) | |
●灯火標高: m (平均海面 - 灯火) | ●初点灯:1879年12月15日 | |
●管轄:第七管区海上保安本部 | ||
五島列島は昔より中国とを結ぶ航海の要衝でした。日本における最初の灯台は、664年に防人に遣唐使船の目標になるよう昼は烽火(のろし)をあげ、夜はかがり火を焚かせたのがその始まりとされています。五島は、航海の要地であるとともに漁業基地としても昭和初期までは重要視されました。着工は1876年(明治9年)で、イギリス人のR・プラトンの設計といわれています。10 mあまり屹立していた岩石を切り落として基盤とし、ここに灯台を築きました。初点灯は1879年(明治12年)で、総工費は当時の額で3万円でした。大瀬崎の山頂にある無線電信所は、日露戦争の日本海海戦の端緒となる、「敵艦見ゆ」の第一報を受信した歴史もあり、この山は電波山と呼ばれました。1945年(昭和20年)8月7日には、米軍の潜水艦による20分間の艦砲射撃をみまわれ、その一発は灯台丸屋根を貫通しましたがレンズには損傷はありませんでした。このとき米軍は灯台の背後の山にある、無線電信所を目標としていました。1971年(昭和46年)に改築され現在の白い円塔の灯台となりました。少なくとも昭和末期までは灯台守がいて、灯台のふもとに居を構え監視していましたが、現在は無人灯台です。初代の灯台躯体は船の科学館に屋外展示物として復元されています。 | ||
大瀬埼灯台(2012年10月撮影) |