閑人の美術館目次


【リュートを調弦する女】
@大航海時代
(世界の海を制し17世紀の覇者となったオランダ)

【17世紀のヨーロッパ地図】
15世紀半ばから17世紀にかけてヨーロッパ各国は交易相手や植民地地を求めて、アジアやアメリカヘ大規模な航海を敢行した。この期間を「大航海時代」という。
最後の立役者となったのが、17世紀にヨーロッパ随一の海運国家に成長したオランダだった。同国の商人はアジアや南米へと進出し、珍しい産物を持ち帰った。
左の≪リュートを調弦する女≫は弦楽器を手にしながら、異国を旅する恋人を思つている。彼女の背後に当時のヨーロッパの地図が見え、愛する人が遠い異国へ旅していることを示唆する。


染付山水図大鉢
A交易大国オランダ
(伊万里焼がかき立てた遠いアジアへの憧憬)

陶器の夕イル
1602年、オランダはアジア諸地域との交易のために東インド会社を設立する。特に日本との貿易をほぼ独占できたことが、同国の立場を有利にした。日蘭の交流を象徴するのが肥前(佐賀)で作られた伊万里焼だ。江戸時代初期よりオランダヘ輸出され、さらにヨーロッパ各国へ流布。異国への憧れをかき立てた。右は17世紀のデルフトで盛んに作られていた陶器の夕イル。『牛乳を注ぐ女』の壁の下部にも、同様のものが張られている左の染付山水図大鉢は江戸時代(17「世紀)にオランダに輸出された伊万里焼でデルフトの陶器に大きな影響を与えた


【ギターを弾く女】
 B真珠
(少女を飾る清楚な輝きは富と虚栄の象徴だった)

インドの真珠採りの様子
フェルメール作品にしばしば登場する真珠も、海外との交易によってオランダに渡ってきたものだ。養殖技術はまだ確立されていないから、すべてが天然物。富裕層しか手にすることができない高価な品だった。もっともフェルメールは真珠の豪華さを強調してはいない。どちらかといえば、その清楚な輝きに魅せられていたようだ。真珠の清楚な輝きが少女の美を引き立てる。右は17世紀頃にインドで行なわれた真珠採りの様子。当時のヨーロッパには、他にペルシア湾や中南米の真珠も輸入されたという。左は【ギターを弾く女】でギ ターをつまびく女性は、真珠の首飾りを着けている。真珠は富の象徴であり、同時に虚栄を意味するともいわれている。


カメラ・オブスクラ
 Cカメラ・オブスクラ
(現実を正確に写し出す魔法の暗箱フル活用)

【音楽の稽古】
フェルメールは、写真機の原型である「カメラオブスクラ」を活用したといわれている。「暗箱」を意味する装置は、小さな穴に光を通すことで、正確な像を結ぶ。使用した確証はないが、画中にピントが外れたようにボケている部分があることから有力視されている。真相はともかく、フェルメールが光を徹底的に追求したことは確かだ。右の絵の【音楽の稽古】は楽器の稽古風景で完璧な遠近描写をするために、カメラーオブスクラを利用したと推定されている。左は17世紀の専門書に描かれたカメラ・オブスクラ。16世紀までは大きな装置だったが、この頃から小型化し、利用しやすくなった。


【地理学者】
 D科学先進国
(科学技術の発達が探究心に火をつける)

アントニー・ファン・
レーウェンフック
17世紀のオランダは、科学の先進国でもあった。海運には天文学や地理学の知識が必要なので自然科学が発達し、自然を観察するために光学技術が向上した。なによりも宗教的な束縛が緩く、自由な思索ができたので、各国から科学者たちが集まってきた。フェルメールもまた新しい表現に挑むときは、科学者のような探究心を発揮した。右の肖像画の生物学者で顕微鏡の開発者であるアントニー・ファン・レーウェンフックはフェルメールと同い年のデルフトの人で、親交があったと見てよいだろう。大航海時代には地図を作る地理学者が重視された。左の 【地理学者】の絵は、生物学者レーウェンフック(右の肖像画)をモデルにしたともいう


【夜警】
E同時代作家
(光と闇を追求したオランダ最大の巨匠)

【パレットを持つ自画像】
 17世紀オランダ絵画の最大の巨匠は、レンブラント・ファン・レイン(1606〜69年)であった。フェルメールとは違った手法で光と闇の対比を追求。また工房を構えて多人数で大画面の絵を制作した点も対照的だ。ふたりに交流があった形跡はないが、旺盛な探求欲をもって絵画表現を追求したところは相通ずる。
右の絵は晩年(1665年頃)に描かれた自画像。意味ありげな背景のふたつの円については、「理論」と「実践」を意味するなどの諸説がある。左は彼の代表作【夜警】である。


国宝【風俗図(彦根屏風)】
(部分)
Fその時、日本は?
(太平の世が訪れ、浮世絵等の風俗画が流行)

【見返り美人図】
フェルメールがオランダで絵を描いていた17世紀前半、日本は徳川氏による全国支配が確固たるものになり、長らく続いた戦乱の世が終わった。平和を取り戻した世の中で盛んに描かれた絵画が、風俗画だった。興味深いことに日本とオランダ、遠く離れた2国で、ほぼ同時期に、同じような主題の絵が流行したのである。そしてフェルメールの絵が自由を愛する市民社会の賜物であったように、近世日本の風俗画は、平和を謳歌する人々の解放感を描いたともいえよう。
右の【見返り美人図】は江戸時代(17世紀)、元禄年間(1688〜1704)の頃の風俗に材をとつた作品で、浮世絵の先駆とされる。絵の外に向けた視線で人物の思いを暗示させるところは、フェルメールの手法に似る。左は国宝【風俗図(彦根屏風)】で派手な身なりの「かぶき者」と呼ばれる男と、犬を連れた女の部分。犬は洋犬で、当時、西洋との貿易が行なわれていたことを物語る
【出典:雑誌サライ】