五月(皐月)の京の歳時記(新規分)

今回は新規4行事
掲載


今年の漢字(2022年)
12月12日(漢字の日)頃 清水寺

【清水寺へのアクセス】

市バス
 京都駅より(206番・100番)
 で五条坂下車、 徒歩約10分

今年の漢字(ことしのかんじ)は、財団法人日本漢字能力検定協会がその年をイメージする漢字一字の公募を全国より行い、最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を表す漢字として、12月12日の”漢字の日”に京都の清水寺にて発表する行事です。1995年にスタートした企画で、清水寺の貫主が清水寺の奥の院舞台でで、報道陣や見学者を前に、巨大な半紙に一気に揮毫され、本尊である千手観音菩薩に奉納されます。因みに2006年の今年の漢字は”命”,2007年は”偽”、2008年は”変”、2009年は”新”、2010年は”暑”に続き、2011年は”絆”、2012年は”金”、2013年は”輪”、2014年は”税”、2015年は”安”、2016年は再び”金”、2017年は”北”、2018年は”災”2019年は新元号、令和の”令”、2020年は三密の”密”、2021年はまたもや”金”で、、2022年は”戦”でした。

初 詣(2023年)
01月01日 菅原院天満宮
【菅原院天満宮へのアクセス】

地下鉄烏丸線「丸太町」駅下車
徒歩約5分
菅原院天満宮は菅原氏の邸宅「菅原院」があったところで、菅原道真、その父祖が祀られています。菅原道真の父是善ら祖父清公以来三代が居住し、道真生誕の地と伝えられています。道真公没後、その菩提を弔うために菅原院の地に歓喜光寺が建立され、境内には道真と父祖の小祠が祀られました。歓喜光寺はその後六条河原院へ移るが、その小祠は残されて現在に至っています。境内には菅公産湯の井戸等ゆかりの遺物があります。太宰府天満宮への遺蹟伝承地を結ぶ菅公聖蹟二十五拝の第1番になっているます。例祭は7月25日、祭神は菅原道真公 菅原是善卿 菅原清公卿で末社は梅丸社です(癌封じの神として霊験あり)

初 詣(2023年)
01月01日 文子天満宮
【文子天満宮へのアクセス】

地下鉄烏丸線「五条駅」下車
徒歩約5分
文子天満宮は祭神として菅原道真公を祀り、洛陽天満宮25社の一つに数えられています。 社伝によれば、大宰府(だざいふ)(福岡県)に左遷された道真公は、延喜3年(903)59歳で没しましたが、没後、道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)は、「われを右近の馬場に祀れ」との道真公の託宣を受けたということです。しかし、文子は貧しく、社殿を建立することができず、右京七条二坊の自宅に小祠を建て道真公を祀ったといわれています。これが文子天満宮の起りで、北野天満宮の前身ともいわれているます。以後、天明、安政、元治の大火で類焼しましたが、その都度再建され、明治に至り、村社に列せられました。現在の社殿は、大正7年(1918)に造営されたものです。 なお、毎年4月16日には、例祭がとり行われます。

初 詣(2023年)
01月01日 吉祥院天満宮
【吉祥院天満宮へのアクセス】

市バス「吉祥院天満宮前」下車
徒歩約3分
吉祥院天満宮は、菅原道真公がおなくなりになって31年目に当たる承平四年(934)に菅原家ゆかりの道真公御誕生の地に朱雀天皇の勅命により創建された最初の天満宮です。 これより先、平安遷都とともに文章博士として恒武天皇に随行された道真公の祖父清公卿は遣唐使の命を受けて唐へ渡航中暴風に遭遇、船上にて吉祥天女の霊験を得て入唐、無事任務を終えて帰国後、自邸内にお堂を建て吉祥天女の尊像をまつりました。これが吉祥院の由来で地名の起源となっています。境内には道真公のへその緒を埋めたと伝えられる「胞衣(えな)塚」をはじめ、少年時代に習字に使用したという「硯の水」や顔を写したと伝える「鑑(かがみ)の井」などがあります。