(1)今月の万葉秀歌訪問

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(1)滋賀県・蒲生野

万葉の森船岡山
あかねさす 紫草野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

額田王

(巻一・20番)
(1)船岡山山頂の額田王歌碑 (2)額田王歌碑
(3)船岡山山麓より蒲生野遠望 (4)船岡山山麓の万葉レリーフ
【万葉の森船岡山へのアクセス】

近江八幡駅より近江鉄道八日市線で

約10分市辺駅下車徒歩約5分
近江の閑人としては、この万葉の秀歌訪問のトップ・バッターとして我が近江の国の大女流歌人の額田王を挙げねばなりますまい。彼女は近江国の野洲・蒲生の豪族鏡氏の子として生まれ(今でも鏡の地名や鏡神社が竜王の辺りに残っている)姉の鏡皇女は中大兄王子の妃、妹の額田王は弟の大海人皇子の妃となり、十市皇女をもうけたと言われています。この歌は内容的に相聞歌と言われることが多いが、万葉集の分類上は雑歌に分類されています。このことから宴席での座興として歌われたものとの見方もあります。彼女はこの歌も含め万葉集に13首の優れた歌を残しています。

(2)滋賀県・大津市
錦織
近江大津宮遺跡近辺

近江(あふみ)の海(み) 夕波千鳥(ゆうなみちどり) 汝(な)が鳴けば 心もしのに 古(いにしへ)思ほゆ

 柿本人麻呂(巻三・266番)
(1)人麻呂の歌碑(大津京シンボル緑地)
(2)近江神宮(天智天皇を祀る)
(3)崇福寺跡(大津京所在地の手がかりとなった)
(4)大津なぎさ公園より大津宮跡方向を望む
【近江大津宮遺跡へのアクセス】

京阪石山坂本線・近江神宮前駅より

徒歩約3分
近江の琵琶湖の夕暮れの波の上に群がり飛んでいる千鳥よ。お前が鳴くと心もしおれるほどに、むかし都のあったころが思い出されてならない。この歌は、壬申の乱(671年大海人皇子吉野行き、672年乱起こり近江軍大敗、近江朝王領大友皇子自殺)によって大津宮は壊滅し、その後いくばくかの年を経て、人麻呂が、すっかり荒都と化した近江朝跡を訪ねた折りの深い感懐を詠んだものと言われている。西大津の錦織近辺はいまでは住宅地と化していますが、大津宮の中枢部の柱穴等が発掘され、謎に包まれていた大津の宮の位置が明らかになったのはつい最近の昭和58年のことでした。

(3)滋賀県・大津市
唐崎
唐崎神社近辺

楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の唐崎(からさき) 幸(さき)くあれど 大宮人(おおみやひと)の 舟待ちかねつ

 柿本人麻呂(巻一・30番)
(1)唐崎神社
(2)唐崎神社
(3)唐崎の老松
(4)唐崎より対岸の近江富士を望む
【唐崎神社へのアクセス】

JR湖西線唐崎駅より

徒歩約15分
「辛崎」は現在「唐崎」と言う名で、唐崎神社近辺を言う。壬申の乱で近江朝廷が滅びた後、20年後に柿本人麻呂がこの地を訪れた折の歌である。大津宮とされる地は、現在の大津市錦織町辺りで、この唐崎から4km余りの所にある。額田王の「茜さす・・・」で詠まれた歌は天智天皇7年5月5日に天智天皇、大海人皇子、額田王らは揃ってこの唐崎の港から対岸の蒲生野を目指したと言われている。尚この唐崎は1500年に時の関白近衛政家により”唐崎の夜雨”として近江八景に選ばれて広く世の中にしられる様になった。唐崎からは琵琶湖越しに遠く三上山(近江富士)を望むことが出来る。



(4)滋賀県・大津市

柳が崎湖畔公園

淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念
(おうみのみ ゆうなみちどり ながなけば 
こころもしのに いにしへおもほゆ)
 

柿本人麻呂
(巻三・266番)

(1)柳が崎湖畔公園(琵琶湖越しに近江富士遠望)
(2)柳が崎湖畔公園の万葉歌碑
(3)柳が崎湖畔公園の万葉歌碑
(4)万葉歌碑(犬養孝先生揮毫)
【柳が崎湖畔公園へのアクセス】

JR湖西線「大津京駅」下車

徒歩約 20 分
近江の琵琶湖の夕暮れの波の上に群がり飛んでいる千鳥よ。お前が鳴くと心もしおれるほどに、むかし都のあったころが思い出されてならない。この歌は、壬申の乱(671年大海人皇子吉野行き、672年乱起こり近江軍大敗、近江朝王領大友皇子自殺)によって大津宮は壊滅し、その後いくばくかの年を経て、人麻呂が、すっかり荒都と化した近江朝跡を訪ねた折りの深い感懐を詠んだものと言われている。西大津の錦織近辺はいまでは住宅地と化していますが、大津宮の中枢部の柱穴等が発掘され、謎に包まれていた大津の宮の位置が明らかになったのはつい最近の昭和58年のことでした。