マクロの世界




(9)古都奈良の文化財(奈良)
登録区分:文化遺産 登録基準:(2)、(3)、(4)、(6) 登録年:1998年

1998年に世界文化遺産に登録された古都奈良の文化財は、東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡からなり、登録された遺産のほとんどが、平城京との関わりを深く持ち、隆盛した往時の面影を今も伝えています。春日大社と春日山原始林など自然と調和した景観や、平城宮跡のような地中に埋もれた遺跡など特色ある遺産です。また、中国大陸や朝鮮半島との文化的交流を示す建造物や宝物も数多くあります。
《構成資産8件》
@東大寺
仏の加護により国家を鎮護しようとした聖武天皇の発願で建立されました。751年に大仏殿が完成し、翌年には盛大な大仏開眼供養がおこなわれました。その後、1180年と1567年に兵火にあい主要伽藍を焼失しましたが、そのつど再建されました。現存する大仏殿は1709年に再建されたもので、世界最大規模の木造建築物としての威容を誇っています。本尊の盧舎那仏(るしゃなぶつ)坐像(国宝)は“奈良の大仏さん”とよばれ、全国の人たちに親しまれています。広大な境内にはほかにも、聖武天皇遺愛の宝物をおさめた正倉院正倉など、数多くの貴重な建物が残されています。また境内の東には、寺の鎮守として創立された手向山八幡宮があります。南大門(鎌倉時代)・法華堂(正堂/奈良時代・礼堂/鎌倉時代)・鐘楼(鎌倉時代)・大仏殿(江戸時代)・開山堂(鎌倉時代)・転害門(奈良時代)・本坊経庫(奈良時代)・正倉院正倉(奈良時代)・二月堂(江戸時代)の9棟が国宝建造物に指定されています。
A興福寺:669年に前身寺院が創立されたのがはじまりです。遷都にともなって平城京に移され、興福寺となりました。藤原氏の氏寺ですが、主要堂塔の建立の発願は天皇や皇后によるものが多く、造営工事も政府直営ですすめられました。平安時代以降、たびたび火災にあいましたが、藤原氏の力を背景にそのつど再建されてきました。五重塔は奈良のまちのシンボルとなっており、猿沢池からのながめは多くの観光客に親しまれています。北円堂(鎌倉時代)・三重塔(鎌倉時代)・五重塔(室町時代)・東金堂(室町時代)の4棟が国宝建造物に指定されています。
B春日大社:
創立は、社伝では768年とされていますが、実際には奈良時代の初めにさかのぼると考えられています。古くから神の降臨する山として神聖視されていた春日山・御蓋山(みかさやま)の西麓に、四柱の神々をまつったもので、藤原氏や朝廷の崇敬をうけて繁栄しました。社殿の配置は古代からほとんど変わることなく、建物が周囲の自然とみごとに調和し、日本古来の神社のようすを伝えています。“春日若宮おん祭”や、参道の石燈籠や廻廊の釣燈籠に一斉に点火される“万燈籠”などの年中行事はつとに有名です。本社本殿4棟(江戸時代)が国宝建造物に指定されています。
C春日山原始林:春日大社の東側にある春日山は、841年に狩猟と伐採が禁止されて以来、大社の聖域として保護されてきました。原生的な状態を維持している照葉樹林としても貴重ですが、日本人の伝統的な自然観とふかく結びついて保護されてきたということが、人とのかかわりを示しています。スケールの大きな鎮守の森なのです。このため、春日大社と一体のものとして文化遺産に含まれています。特別天然記念物に指定されています。
D元興寺:
6世紀に蘇我馬子が創建した飛鳥寺を、平城京に移して造営したのが元興寺です。伽藍の中心部は、平安時代以降徐々に衰退していきましたが、12世紀頃から「極楽坊」とよばれていた僧房の一郭が、浄土教の念仏道場として庶民信仰をあつめて栄え、発展しました。極楽坊の本堂と禅室は、奈良時代の僧房の建物を鎌倉時代に改築しますが、その部材の一部は転用して使用されています。なお、極楽坊の周辺一帯が「ならまち」で、今なお江戸時代末の古い町家がところどころに残り、伝統的な町並みの景観をみることができます。極楽坊本堂・禅室とも国宝建造物に指定されています。
E薬師寺:680年に天武天皇が藤原京で創建し、平城京遷都にともなって現在地に造営されました。東塔は730年に建立されたものですが、7世紀末に藤原京で創建された時の建築様式を踏襲して建てられたと考えられています。各重に裳階(もこし)というひさしがつく独特の形式の三重塔で、日本でもっとも美しい塔として知られています。また、寺の西方にある大池から望む、若草山や春日山を背景にした伽藍のながめは、奈良を代表する風景のひとつです。東塔(奈良時代)・東院堂(鎌倉時代)の2棟が国宝建造物に指定されています。
F唐招提寺:苦難の末に来朝した唐の僧・鑑真和上が、戒律を学ぶための寺院として759年に創建しました。正面の美しい列柱や小説『天平の甍』の鴟尾(しび)で有名な金堂をはじめ、平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築した講堂など、今も創建当時の建物がよく残っています。まさしく奈良時代建築の宝庫といえるでしょう。金堂(奈良時代)・講堂(奈良時代)・鼓楼(鎌倉時代)・宝蔵(奈良時代)・経蔵(奈良時代)の5棟が国宝建造物に指定されています。
G平城宮跡:平城宮は、奈良の都・平城京の中央北端に造営された宮城で、東西1.3km、南北1km、面積120haの広さがあります。外周を築地大垣でかこんだ内部には、国の政治や儀式をとりおこなう大極殿(だいごくでん)・朝堂院、天皇の居所である内裏(だいり)、行政機関であるさまざまな役所、宴会をもよおす庭園などの施設がありました。これらはみな木造建築だったので、地上の構造物は失われていますが、地下の遺構は良好な状態で保存されています。1955年から発掘調査がはじめられ、その成果にもとづいて、1998年に朱雀門と東院庭園、2010年に第一次大極殿が復元されるなど、遺跡博物館としての整備も同時にすすめられています。
特別史跡に指定されています。



東大寺(2006年04月撮影)













興福寺(2006年04月撮影)













春日大社(2008年05月撮影)













春日山原始林(2007年04月撮影)













元興寺(2020年10月撮影)













薬師寺(2020年10月撮影)













唐招提寺(2020年10月撮影)













平城宮跡(2010年11月撮影)