マクロの世界

(03)古代都市テーベとその墓地遺跡(エジプト)
登録区分:文化遺産 登録基準:(1)、(3)、(6) 登録年:1979年

テーベはナイル川東岸、地中海から約800km南方に位置します。上エジプト4番目の都市であり、現地では「ワセト」(Waset)と呼ばれていました(「ワセト」は「都市」とほぼ同義)。「テーベ」は東岸を意味する「タ・アペト」との音の類似により、ギリシャ人がボイオティアの古都「テーバイ」と同じ呼称を与えたものという説があります。古代エジプトの王都はメンフィスに置かれることが多かったが、中王国の第11王朝から新王国の第18王朝までテーベがエジプトの都とされました。その後、第19王朝でデルタに遷都されたが、アメン信仰の総本山であるカルナック神殿を中心として、重要な宗教都市としての地位を保ち続けました。テーベの遺跡群はその考古学的価値が高く、古代エジプト文明の貴重な証言者となっています。また、現代ではナイル川西岸の葬祭殿(→ハトシェプスト女王葬祭殿)と墓所群(→王家の谷)もテーベの一部であると見なされています。旧約聖書では「ノ・アモン」(アメン神の都市)と記録され、古代ギリシャの詩人ホメロスはイリアス(BC7C)でテーベの富と財宝について触れ、感嘆の言説を述べています。「ルクソール」と「カルナック」はテーベ郊外の2つの重要な神殿遺跡、および周辺街に名付けられたアラビア語の呼称です。遺跡群は「古代都市テーベとその墓地遺跡」として1979年、ユネスコの世界遺産に登録されました。ルクソール(Luxor)は、エエジプトのルクソール県の県都です。古代エジプトの都テーベがあった場所で、現在も数多くの遺跡が残っています。市域はナイル川によって分断されています。日が昇る方角であるナイル川の東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿など生を象徴する建物が、日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する、王家の谷や王妃の谷などがあります。王家の谷には有名なツタンカーメン王の墓があります。


古代都市テーベ(2005年02月撮影)