マクロの世界

【3件掲載】

やすらい祭(京都三大奇祭)
開催場所:京都市・今宮神社 開催日程:04月第2日曜日(毎年)
京都は、言わずと知れた歴史と伝統のある都市で、1年中どこかで祭が執り行われていると言われています。そんな京都の祭で特に有名なのが、葵祭・祇園祭・時代祭の京都三大祭です。しかし、それとは別に京都三奇祭と呼ばれる祭が存在します。鞍馬の火祭、太秦の牛祭の2つとあわせて京都三奇祭と呼ばれているのが今回紹介するやすらい祭で、毎年4月第2日曜に斎行されます。京都三奇祭の一つ、やすらい祭が執り行われるのは、京都市の中心部から離れた紫野の地にある今宮神社です。平安時代に京都で疫病が蔓延した際に、悪疫鎮静を祈って、一条天皇の手により、正暦5(994)年に創祀された神社です。この今宮神社では、毎年4月の第2日曜日に、やすらい祭が執り行われます。平安時代は、医療に関する考えが今とは大きく異なり、桜の花が舞い散る頃、花の精にあおられて、陽気好きの疫神がいたずらをし、人々に病気をもたらすと考えられていました。そこで傘を生花で飾り、傘を中心に笛や太鼓を鳴らし、行列が街中を練り歩きながら大鬼はやすらい踊を踊って、疫神の興味を誘い、傘の中へ招き入れます。その疫神の宿った傘を今宮神社の摂社である疫社へと鎮め、一年の無病息災を願ったのが、やすらい祭です。やすらい祭では疫神を花傘に誘い込む行列を、練り衆と呼びますが、囃子方、音頭取りとともに練り歩き、独特の舞を踊るのは、何と鬼です。また、小さな鬼も行列の中にいます。やすらい祭が奇祭と呼ばれる理由は、ここにあります。赤と黒の長い髪に赤地の打掛と白袴という異様な姿の鬼が、太鼓と摺鉦(すりがね)を鳴らし、やすらい歌が唱われる中を、髪と服の袖と裾を振り乱しながら、踊りそして練り歩く様子は、なるほど奇祭という雰囲気です。やすらい祭の行列は正午に光念寺を出発し、そこここで踊りながら紫野の街々を練り歩き、今宮神社を目指します。その際、まっすぐ今宮神社を目指すのではなく、事前に祭礼へ御神酒を納めた家の軒先に張られたお札を目印に、氏子の家々を巡り、門の前で門付けの踊りを舞います。門付けを行う家の玄関まで来ると、初めに子鬼が挨拶を行い、大鬼が太鼓と摺鉦を鳴らしながら、踊り始めます。鳴り物で始まった踊りは、徐々に激しくなり、クライマックスには大鬼は体を捻じりながら大きく飛び上がります。回転ジャンプに合わせて、大きく揺れる長い髪と紅白の衣装は、ダイナミックで色鮮やかです。粛々と行われる一般的な日本の祭とは一線を画します。門付けをしつつ紫野の街を2時間ほど掛けて練り歩き、観客でごった返す今宮神社へ辿り着いた練り衆は、やすらい踊りを奉納し、花傘の中に憑った疫神を境内摂社の疫社へと鎮め、今宮神社を後にし、再び光念寺を目指します。今宮神社といえば、参道のあぶり餅も有名。千年以上の歴史のある一文字屋和輔では、明治時代の、やすらい祭が描かれた、この日限定の屏風が出たり、お祭り仕様になりま。あぶり餅を食べつつ練り衆を眺めることも可能です。

やすらい祭(2007年04月年撮影)































































神戸ルミナリエ
開催場所:神戸市・旧外国人居留地および東遊園地 開催日程:12月6日〜12月15日
1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部沖を震源とするマグニチュード7.3の直下型地震が発生しました。最大震度7で死者6,434名、負傷者43,792名にもなりました。阪神淡路大震災は、戦後最大の都市型災害になりました。すさまじい地震による想像を絶する強い揺れ、そして、それに伴い数多くの火災が発生しました。全壊家屋104,906棟、半階家屋144,274棟、火災件数は293件にものぼり、被害は甚大なものとなりました。「神戸ルミナリエ」は、阪神淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年の12月に初めて開催されました。以来「神戸ルミナリエ」は、震災の記憶を語り継ぎ、都市と市民の『希望』を象徴する行事として、毎年開催されています。美しい輝きに歓喜の声が上がる中、東遊園地付近では「1.17希望の灯り」に手を合わせる人々が幾人も見られます。阪神淡路大震災を知らない子供たちはその光景を不思議に思い、そして、その理由を親たちが教えている光景も見られます。こうして、この震災が語り継がれていくのです。
神戸ルミナリエ(2005年12月年撮影)































































梅花祭
開催場所:京都市・北野天満宮 開催日程:02月25日
菅原道真公の祥月命日に行われる祭典で、約900年の歴史があります。お米を蒸して大小2つの台に盛った「大飯」「小飯」や白梅・紅梅の小枝を挿した「紙立(こうだて)」という特殊な神饌を供え、道真公のご遺徳をしのびます。授与所では「紙立」に用いた玄米を「厄除玄米」として授与しています。また、この日、三光門前広場では「梅花祭野点大茶湯」を催します。豊臣秀吉公が北野天満宮で北野大茶湯を催した故事にちなみ、道真公の薨去(こうきょ)後1050年の大萬燈祭にあたる昭和27年から始まった行事です。上七軒の芸妓さんたちの奉仕により、梅の盛りを迎えた境内で華やかな野点を楽しむことが出来ます。
梅花祭(2007年02月年撮影)