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《B関東地方》

【犬吠埼灯台】

犬吠埼灯台
(世界灯台100選・日本灯台50選)




●航路識別番号:2495(F6228) ●位置:北緯34度35分45秒
    東経138度13分33秒
●所在地:千葉県銚子市犬吠埼9576 ●塗色・構造:白色・塔形レンガ造り
●レンズ:第1等フレネル式 ●灯質:単閃発光・15秒毎に1閃光光
●実効光度:1100000cd ●光達距離:19.5海里(約36km)
●明弧:169度から65度まで ●塔高:31.30m(地上・塔頂)
●灯火標高:51.80m(平均海面・灯火) ●初点灯:1874年(明治7年)11月15日
●管轄:海上保安庁・第三管区・海上保安本部

犬吠埼灯台は日本を代表する灯台の一つで歴史的文化財的価値が高く、Aランクの保存灯台ともなっている。「世界灯台100選」、「日本の灯台50選」にも選ばれている。 2010年(平成22年)4月28日には国の登録有形文化財にも登録された(官報告示は同年5月20日)。また、最大の第1等レンズを使用した第1等灯台である。第1等灯台は日本に5つ しかない。この灯台は明治初期に、江戸条約によって建設された8基、および大坂条約によって建設された5基の洋式灯台の中には入っていないが、それに続く重要な灯台として建設が決まった。というのも、この付近一帯は小島・岩礁が多く、昔から海の難所とされてきたからである。そして1868年10月6日(慶応4年8月21日)、幕府の軍艦「美賀保丸」が暴風雨に遭い、ここの黒生(くろはえ)岩礁に乗り上げて座礁沈没、乗組員13名が死亡するという事故も起きていた。そのような中でイギリスから招いた灯台技師、リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計、施工監督のもと1872年10月4日(明治5年9月2日)に着工、1874年(明治7年)11月15日に完成し初点灯された。建設当初より白色塔形(円形)の煉瓦造灯台であるが、この煉瓦は内務省の土木技師中沢孝政によって生産が試みられた初の日本製(千葉県香取郡高岡村、現在の千葉県成田市高岡)であり、その数はおよそ19万3000枚である。ブラントンは当初日本製煉瓦の使用に反対したといわれ、その強度に不安を感じたためかこの灯台の造りはそれまでの灯台の構造とは違って二重構造になっており、120年以上の風雪に耐え今日に至っている。灯塔高 31.3 m(地上から塔頂まで)で、煉瓦製の建造物としては尻屋埼灯台に次ぐ、日本第2位の高さである。2008年(平成20年)3月31日、犬吠埼灯台に付随する施設であった犬吠埼霧信号所「霧笛舎」が100年の歴史にピリオドを打ち、閉鎖された。閉鎖に当たって最後の霧笛を鳴らすお別れ式典が挙行された。


犬吠埼灯台(2003年06月撮影)













【野島埼灯台】
野島埼灯台
(日本の灯台50選)




●航路識別番号:1910 [F6456] ●位置:北緯34度54分06秒
    東経139度53分18秒
●所在地:千葉県南房総市 ●塗色・構造:白色、塔形、コンクリート造
●レンズ:第2等フレネル式 ●灯質:単閃白赤光 毎15秒に1閃光
●実効光度:73万 cd ●光達距離:17海里(約 32 km)
●明弧:254度 - 101度
●塔高:29 m (地上 - 塔頂)
●灯火標高:38 m (平均海面 - 灯火) ●初点灯:1870年01月19日
●管轄:第三管区海上保安本部 
野島埼灯台(のじまさきとうだい)は、千葉県房総半島の最南端野島崎に立つ、白亜の八角形をした大型灯台で、「日本の灯台50選」に選ばれており、国の登録有形文化財にも登録されています。周辺は、南房総国定公園に指定されていて、雄大な太平洋のパノラマが展開しています。1866年(慶応2年)5月:アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税条約」(別名・江戸条約)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬)の一つでう。なお、これらを条約灯台とも呼びます。
1870年1月19日(旧暦:明治2年12月18日):観音埼灯台に続いて、日本の洋式灯台では2番目に初点灯しました。野島崎は東京湾に出入りする船舶に とっては、昔からの重要ポイントだったので、他に先立って建設されました。F・L・ヴェルニーを首長とするフランス人技師たちの設計によって建設された当初は、白色八角形の煉瓦造灯台で、基礎から灯火までが 30 m の高さ、フランス製の第1等フレネル式レンズを使用した第1等灯台で、石油灯器の 6,500 cd でした。1923年(大正12年)9月1日:関東大震災により地上 6 m の所で折れて、大音響と共に倒壊しました。1925年(大正14年)8月15日:現在の白色塔形(八角形)コンクリート造で再建されました。1945年(昭和20年):太平洋戦争の攻撃で大きな被害を受けました。1946年(昭和21年)11月12日:完全復旧しひました。2016年(平成28年)9月30日:船舶気象通報施設を廃止しました。

野島埼灯台(2014年02月撮影)

























































【観音埼灯台】
観音埼灯台
(日本の灯台50選)




●航路識別番号:2030 [F6360] ●位置:北緯35度15分22秒
    東経139度44分43秒
●所在地:神奈川県横須賀市 ●塗色・構造:白色八角塔形 コンクリート造
●レンズ:第4等フレネル式 ●灯質:群閃白光 毎15秒に2閃光
●実効光度:770000 cd ●光達距離:19海里(約 35 km)
●明弧:152度 - 17度
●塔高:19 m (地上 - 塔頂)
●灯火標高:56 m (平均海面 - 灯火) ●初点灯:1869年02月11日
●管轄:第三管区海上保安本部 
観音埼灯台はフランス人F.L.ヴェルニーの設計により建設されたもので,1868年9月(明治元年)に完成した我が国初の洋式灯台です。翌年1月1日に点灯を開始して以来今日まで,浦賀水道を行き来する船の安全を照らし続けてきました。当時の光源は,落花生油を燃料としていたので,1,750燭光と,現在の光力と比べると非常に小さいのですが,それまでの和風の燈明台(燈明堂)から見ると,月とスッポンの違いがあり,我が国の代表的灯台として,航海の安全に貢献してきました。しかし,この初代灯台は1922年4月(大正11年)の地震により大亀裂を生じたため,翌年3月に二代目が再建されましたが,僅か5ヶ月半後,9月1日の関東大震災で崩壊してしまいました。現在の灯台は1925年6月1日(大正14年)に完成した三代目になります。灯台構内の左手には高浜虚子と初代海上保安庁長官の二つの句碑があり,その句から,灯台守の厳しい生活と出船に対する情愛の深さの一端が窺えます。観音埼灯台は,そんな灯台守の生活を描いて日本中を感動させた,木下恵介監督,佐田啓二・高峰秀子主演の1957年(昭和32年)松竹映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台となったことでも知られています。その灯台守も,1989年(平成元年)5月,灯台が遠隔監視に切り換えられたためいなくなり,現在では,職員が月一回,巡回により施設の点検を行っています。

観音埼灯台(2016年10月撮影)