野宮神社、昔は天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斉王が、伊勢に行く前に身を清めたところです。平安の風情を今に伝える黒木鳥居と小柴垣の様子は、源氏物語「賢木の巻」にも描写されています。良縁結婚のご利益がある野宮大黒天のほか、子宝に恵まれるという白福稲荷大明神などを祀り、恋愛成就を祈願する女性が多く訪れます。「お亀石」をなでながら祈願すると1年以内に願いがかなうと言うことです。お正月には無料で樽酒が振る舞われます。
初 詣(2009年) |
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01月01日 | 伏見稲荷大社 |
【伏見稲荷大社へのアクセス】 JR奈良線”稲荷駅”からすぐ、又は京阪”伏見稲荷駅”より徒歩約5分 |
『枕草子』や『蜻蛉日記』にも登場する有名な伏見稲荷大社は、稲荷神社の総本宮です。稲荷山の山上から麓まで無数に朱の鳥居が並んでいます。創建は古く、和銅4年(711)で、渡来人の秦氏が農耕神として祀ったのが最初といわれています。現在は商売繁昌の神様で、初詣はもとより年中多くの参詣者が訪れます。秀吉寄進と伝わる楼門、稲荷造りと呼ばれ華麗な彫刻が見られる本殿、御所から移した御茶屋(非公開)など見どころも多くあります。奥社までの千本鳥居は鳥居のトンネル。お山巡りは約4km、約2時間。一の峰までは約1時間です。
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初 詣(2009年) | |
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01月01日 | 八坂神社 |
【八坂神社へのアクセス】 阪急「四条河原町駅」から徒歩約10分、またはJR「京都駅」中央口から市バス100・20系統祇園下車すぐ |
全国に3000社ある祇園社の総本社です。「祇園さん」の名で親しまれています。本殿は神殿と拝殿の異なる建物を1つの屋根で覆った祇園造と呼ばれる建築様式で、重要文化財に指定されています。夏の祭礼・祇園祭は、869年(貞観11)の疫病流行の際、その災厄除去を祈ったことに由来しています。大晦日〜元旦のをけら詣りも参拝者が多く、をけらの根を混ぜて焚いた浄火を吉兆の縄に移して持ち帰り、新年の火種にすると、一年を無事に過ごせるといわれています。境内の大田社白髭神社は芸事上達に御利益があるとされ、祇園の芸妓や舞妓もお参りにきます。
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初 詣(2009年) | |
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01月01日 | 平安神宮 |
【平安神宮へのアクセス】 JR「京都駅」中央口から5系統のバス「京都会館美術館前」下車〜徒歩5分 |
平安遷都1100年を記念し、第五十代桓武天皇を御祭神として創建されました。当時の京都は、幕末の戦乱による街の荒廃と東京遷都で衰退していましたが、市民たちの熱意によってまちおこしが始まり創建に至りました。社殿のまわりには約3万平方メートルの広さの日本庭園・神苑があり、サクラやハナショウブが季節を彩ります。10月に開催の「時代祭」は京都三大祭の一つ。御利益は、運招福・商売繁盛・厄除け・縁結び・学業成就。大晦日は境内すべての灯籠に火を灯す終夜万燈が行われ、1月1日午前6:00からは元旦祭が開かれます。 |
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初 詣(2010年) | |
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01月01日 | 北野天満宮 |
【北野天満宮へのアクセス】 JR「京都駅」から50・101系統のバス「北野天満宮前」下車すぐ |
北野天満宮は菅原道真公をお祀りした神社の宗祀であり、国を鎮め守る神として平安時代中期多治比文子らによって北野の右近馬場に菅原道真公の御霊をお祀りしたのが始まりとされています。菅公は「和魂漢才」の精神を以って学問に勤しまれ、幼少の頃より文才を表し、朝廷の官吏として活躍されました。永延元年(987)一条天皇の令により初めて勅祭が執り行われ「北野天満宮天神」の神号を得ました。寛弘元年(1004)の一条天皇の行幸を初めてとし、代々皇室の御崇敬を受け、江戸時代には寺子屋の精神的中心として菅公の御分霊がお祀りされるなど、「天神様」として親しまれ、以来学問の神様としての信仰は現在に至るまで受け継がれています。今年は初詣の最初に出かけて見ました。 |
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初 詣(2010年) | |
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01月01日 | 上賀茂神社 |
【上賀茂神社へのアクセス】 JR京都駅前より市バス9系統「上加茂御薗橋」下車、徒歩約5分 |
上賀茂神社は、正式名、賀茂別雷(かもわけいかづち)神社といい、国宝の本殿、権殿と40棟の重要文化財に指定されている建物で構成されています。創建は古く7世紀末にはすでに有力な神社になっており、さらに平安建都以降は国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集めていました。社殿は、11世紀初頭までに現在に近い姿に整えられましたが、その後衰微し寛永5年(1628)に再興されました。再興後本殿の造替が7回実施されており、現在の本殿と権殿は、文久3年(1863)に再建されたものです。元日の初詣に出かけて見ました。 |
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初 詣(2010年) | |
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01月01日 | 下鴨神社 |
【下鴨神社へのアクセス】 JR京都駅より 市バス(4・205系統)下鴨神社前(糺の森)下車 |
下鴨神社の創祀は明らかではないようですが、崇神天皇7年(BC90年)に社の瑞垣が造営され、垂仁天皇27年(BC2年)には御神宝が奉られたとする記録があるということです。詳細は別として、創祀は西暦紀元以前に遡るものと考えられています。社殿が造営されたのは西暦450〜500年頃といわれていますが、天武天皇6年(677年)とするのが確かなようです。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京遷都のため行幸、御親斎されてから皇室との繋がりが強くなったといわれています。平安時代には皇城鎮護の神として高い地位が与えられたということです。神社の正式名は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」ですが、通称名の「下鴨神社」のほうがよく知られています。元日の初詣に出かけて見ました。
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初 詣(2011年) | |
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01月01日 | 松尾大社 |
【松尾大社へのアクセス】 阪急嵐山線 松尾駅 徒歩3分 京都市営バス 松尾大社前 下車徒歩約3分 |
松尾大社は賀茂神社と並び京都最古の神社といわれています。現在の松尾大社の後方にある松尾山中頂上近くにある巨岩を信仰の対象 とし、一帯の住民の守護神としたのが神社の起源とされているようです。朝鮮半島から渡来した秦氏がこの地に移住し、農業や林 業を興したが、大宝元年(701年)に現在の地に社殿を建立し、一族が社家をつとめたようです。平安遷都以後は皇室鎮護の社となり、行幸も数十回行われたとされ、貞観8年(866年)には正一位の位が与えられたといわれています。中世以降、醸造の神様として、全国の酒造家などから信仰を集めています。これは、天平5年(733年)に社殿背後より泉が湧き出たとき、『この水で酒を醸すとき福が招来し家業繁栄する』との松尾の神の御宣託があったことに由来しているとのことです。早速、初詣に出かけ、お神酒を頂戴しました。 |
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初 詣(2011年) | |
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01月01日 | 城南宮 |
【城南宮へのアクセス】 JR京都駅から京都市営バス 19号系統「城南宮」下車すぐ |
はるか昔、神功皇后は出陣に当たり、軍船の御旗に八千矛神を招き寄せて戦勝を祈願され戦が終わるとその御旗は宮中で大切に保管されていました。そして平安京に都を定めた時その御旗を城南の地に御神体として納め、国土守護の神、国常立尊と神功皇后の御霊をあわせ祀って都の守護神としました。城南宮が鎮まる鳥羽の地は、平安京の表玄関に当たる交通の要衝であり、また鴨川に臨む水郷の景勝地でもありました。やがて貴族の別荘が建てられるようになり、平安時代の末には白河上皇が壮大な離宮(城南離宮、鳥羽離宮)を造営して院政を開始されたのです。上皇の御所や御堂、また貴族の宿所などの建物が建ち並び、人々が行き交う様子は都遷りのようであると形容された程です。こうして白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と4代150年にわたり政治・文化の中心となり副都心の賑わいを見せたのでした。毎年、春と秋に催される曲水の宴はさながら王朝絵巻を見ている様で有名です。今回は初詣に出かけて見ました。 |
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初 詣(2011年) | |
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01月01日 | 石清水八幡宮 |
【石清水八幡宮へのアクセス】 京阪電車「八幡市駅」から男山 |
石清水八幡宮は859年(貞観元年)、大安寺の行教という僧によって創建されています。行教は、豊前の宇佐宮に籠もったとき、八幡大神の御託宣を蒙り、男山の峯に八幡三所の神霊を招きました。また、この年、清和天皇の命令により、この地に本殿三宇・礼殿三宇から成る六宇(ろくう)の宝殿を造営され、そこに八幡三所大神が正式に御鎮座されました。石清水八幡宮の社号は、今なお男山の中腹に涌き出ている霊泉「石清水」に因んだものです。石清水八幡宮の御祭神は、御本殿中央に八幡大神、西に比淘蜷_、東に神功皇后をお祀りしており、この御本殿に鎮まる三座の神々を総称して八幡三所大神と呼ばれています。九州の宇佐神宮、関東の鶴岡八幡宮とともに日本三大八幡のひとつにあげられている神社です。全国屈指の厄除けの神社として知られています。また、創建以来公家・武家の信仰が篤く、とりわけ源氏が氏神と崇め、必勝の神社としても知られています。初詣に来る人を見ているとみんな長い矢を持っています。これが八幡さんのシンボル、「神矢」です。神矢は各家庭の神棚にまつられ、次の年にここに納めて新しいものに代わります。
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初 詣(2012年) | |
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01月01日 | 梅宮大社 |
【梅宮大社へのアクセス】 市バス【3】・【28】・【29】 【71】系統にて 「梅ノ宮神宮前」下車 徒歩約3分 |
安産と子授けの神として名高い梅宮大社は、大山祇神(おおやまずみのかみ)、瓊々杵命(ににぎのみこと)、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の父子三代の神と孫神の母神を祀り、血脈相続の守護神とされ、木花開耶姫命が一夜にして身ごもったことにより子授け安産の信仰を生んだようです。社伝によれば、もとは相楽郡にありましたが、嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子(たちばなのかちこ)が現在地に移したとのことです。本殿横のまたげ石は、子授けのご利益があるとのことです。神苑は、梅、桜、霧島つつじ、杜若、花菖蒲、紫陽花などが咲く美しい庭です。 |
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初 詣(2012年) | |
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01月01日 | 今宮神社 |
【今宮神社へのアクセス】 市バス「今宮神社前」下車すぐ 市バス「船岡山」下車徒歩7分 |
今宮神社は、本社には大己貴命(おおなむちのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、疫神社には素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀っていて紫野神社とも言います。正暦5年(994)平安京で疫病が流行り、これを鎮めるため御霊会がおこなわれ、船岡山に創建された疫病鎮護の神社が起こりと伝えられ、疫神を鎮める神社として信仰を集めました。その後、今の地に移り今宮神社となりました。社殿の多くは明治時代の再建ですが、古式の風格を感じさせます。 |
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初 詣(2012年) | |
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01月01日 | 平野神社 |
【平野神社へのアクセス】 JR「京都」駅から京都市バス[205]系統又は[50]系統に乗車し「衣笠校前」で下車、北の方向へ徒歩約3分 |
平野神社は794年桓武天皇の命で大和国から遷座したのが起こりです。現在の社殿は寛永年間の造営で平野造とよばれ本殿は重要文化財です。伊勢神宮、松尾大社などとならぶ格式ある名社です。江戸時代には桜の名所「平野の夜桜」と全国に知られていました。珍種が多く、苑内には、平野神社の代表的名桜「魁桜」「寝覚桜」「平野妹背桜」「手弱女桜」「突葉根桜」など約50種、400本の桜があります。早咲きの品種は3月中旬に咲き始め、遅いものは4月20日頃に咲く品種があり、約1ヶ月間も花を楽しむことが出来ます。 |
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初 詣(2013年) | |
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01月02日 | 粟田神社 |
【粟田神社へのアクセス】 JR京都駅から京都市営バス5号系統「神宮道」下車 徒歩約5分 |
粟田神社はスサノオノミコト・オオナムチノミコトを主祭神として祀り、厄除け・病除けの神と崇敬されています。京都の東の出入口である粟田口に鎮座する為、古来東山道・東海道を行き来する人々は旅の安全を願い、また道中の無事を感謝してこの神社にお参りして、いつしか旅立ち守護・旅行安全の神として知られるようになりました。祭には神輿に先行して剣鉾が巡行します。剣鉾は祇園祭の山鉾の原形と云われており、室町時代には祇園会が行われない際は粟田祭をもって御霊会としたと伝えられています。一説には奈良朝より活躍した粟田氏の氏神として創建された社とも云うことです。正月の二日、三社詣りを兼ねて、初詣に出かけました。 |
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初 詣(2013年) | |
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01月02日 | 新日吉(いまひえ)神宮 |
【新日吉神宮へのアクセス】 市バス206・208「東山七条」下車 徒歩約10分 |
新日吉神宮は後白河法皇が「法住寺殿」を造営し、厄除けのため、比叡山東坂本の「日吉山王七社」を勧請(神仏の分霊を他の場所に移し、祀ること)したのが始まりです。社地は転々としており、当初は智積院南側に創建されたが、江戸時代になって豊国廟社が壊されたのと同時期に旧廟前に移りました。さらに明治30年(1897年)に現在の場所に移っています。後白河法皇ほか、皇居守護神山王七柱を祭神として祀り、酒造、医薬、縁結びの神として信仰を集めています。数多くの遺物や天皇の宸筆(直筆)を所蔵しているほか、江戸時代の歌人で国学者の小沢蘆庵をはじめ、多数の近世文学資料を「蘆庵文庫」の名で保存しています。正月二日、三社詣りを兼ねて初詣に出かけました。 |
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初 詣(2013年) | |
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01月02日 | 新熊野(いまくまの)神社 |
【新熊野神社へのアクセス】 市バス「今熊野」下車すぐ |
新熊野(いまくまの)神社は平安後期、熊野詣盛んな頃、後白河上皇が平清盛に命じ、熊野の神をここに勧請するため、熊野より土砂材木等を運び社域を築き社殿を造営、神域に那智の浜の青白の小石を敷き霊地熊野を再現した熊野の新宮です。創建は1160年(永暦元年)で、境内の大樟は当時熊野より移植した後白河上皇お手植といわれています。又新熊野神社は、日本能楽史上紀元元年といわれる1374年(応安7年)に観阿弥・世阿弥父子が足利三代将軍義満の面前で「猿楽」を演能した地としても著名です。現本殿は1673年(寛文13年)に聖護院道寛親王が再建した市指定重要文化財です。正月2日に三社詣りも兼ねて、初詣に出かけました。 |
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初 詣(2014年) | |
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01月01日 | 野宮神社 |
【野宮神社へのアクセス】 京福「嵐山駅」下車徒歩約10分 阪急「嵐山駅」下車徒歩約20分 |
野宮神社、昔は天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斉王が、伊勢に行く前に身を清めたところです。平安の風情を今に伝える黒木鳥居と小柴垣の様子は、源氏物語「賢木の巻」にも描写されています。良縁結婚のご利益がある野宮大黒天のほか、子宝に恵まれるという白福稲荷大明神などを祀り、恋愛成就を祈願する女性が多く訪れます。「お亀石」をなでながら祈願すると1年以内に願いがかなうと言うことです。お正月には無料で樽酒が振る舞われます。 |
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初 詣(2014年) | |
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01月01日 | 車折(くるまざき)神社 |
【車折神社へのアクセス】 市バス又は京都バス 「車折神社前」または京福電車の 「車折」駅下車すぐ。 |
車折(くるまざき)神社は天武天皇の皇子で平安時代後期の儒学者・清原頼業公を祀っています。頼業公は重要な役職である大外記の職を24年間も勤めていたことから、学業成就、試験合格のほか、特に「約束を違えないこと」を守る神様として全国的に強い信仰があります。恋愛や結婚においても、さまざまな約束事や誓いが守られ、順調に進行するといわれ、良縁成就・恋愛成就を祈る参拝客があとを絶たない。持ち歩くと、願いが叶う「祈念神石」でも有名です。また芸事の上達に祈願に訪れる芸能関係者も多いと言われています。 |
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初 詣(2014年) | |
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01月01日 | 吉田神社 |
【吉田神社へのアクセス】 JR「京都駅」中央口から206系統の市バス約28分「京大正門前」下車、徒歩5分 |
吉田神社は貞観元(859)年、京の都の守護神として都の東北(表鬼門)に位置する吉田山に創建されました。山の中腹には、全国の神を祀る大元宮(重文)があり、この御殿は八角形であり、その造りは種々の特異な形式を持ち、その総ては吉田神道の原理に基づき、創建されたと伝えられています。吉田神社に仕えた吉田家は、近世まで神社家の総家と仰がれ、全国の神主に宗源宣旨、裁許状を授けました。「徒然草」の吉田兼好もその一門です。
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初 詣(2015年) | |
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01月01日 | 春日神社 |
【春日神社へのアクセス】 阪急電車・京福電車「西院駅」 下車徒歩約3分 |
京・春日神社は天長十年(833)に淳和天皇が淳和院(西院)にお移りになった際、奈良春日大社よりご分霊を迎えられてお祀りされた事に由来します。以来、皇室をはじめ藤原氏の守護神として今なお崇敬を集め、特に淳和天皇皇女崇子内親王が疱瘡を患われた折、春日神社にご祈願をされたところ、神前の石が内親王の身代りとして疱瘡を生じ、内親王がご快癒された事から、病気平癒の守護神として崇められています。その石は現在も「霊石・疱瘡石」として諸病平癒を祈る多くの人々に信仰されております。境内にお祀りされている還来(もどろき)神社は旅行安全のご利益があり、又、仁孝天皇御胞衣塚(おえなづか)は安産・幼児守護の信仰があり、共に皇室のご崇敬を受けています。 |
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初 詣(2015年) | |
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01月01日 | 神泉苑 |
【神泉苑へのアクセス】 京都市地下鉄東西線二条城前駅下車 |
平安京最古の庭園といわれている神泉苑は、794年に桓武天皇が平安京の造営にあたり大内裏の南の沼沢を開いて設けられた苑池であり、常に清泉が湧き出すことから神泉苑と名づけられました。京都の地形は北高西南低で昔この辺は湿地帯となっていましたが、それをうまく利用して禁苑としたのが神泉苑です。かつては広大な地を占め天皇御遊の庭園として四季折々に華麗な行事が催され、古くは今から千二百年以上もまえの812年(弘仁3年)二月十二日に「嵯峨天皇が神泉苑にて花宴の節を催し、文人達に詩を作らせた」 |
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