一月(睦月)

賀茂競馬足汰式
05月01日 上賀茂神社
【上賀茂神社へのアクセス】

JR京都駅前より市バス9系統
「上加茂御薗橋」下車
徒歩約5分

上賀茂神社(京都市北区)で5日に行われる神事「賀茂競馬(くらべうま)」を前に、馬の状態を確かめる足汰式(あしぞろえしき)が1日に行われます。12頭の馬が境内の馬場を疾走します。競馬はもともと宮中で行われていた神事で、1093(寛治7)年に天下泰平や五穀豊穣(ほうじょう)を祈願して上賀茂神社に移して行われるようになろ、あした。市登録無形民俗文化財で、乗尻(のりじり)と呼ばれる騎手は神社の神職を代々務めた社家の子孫が務めます。境内の小川で「足洗の儀」などの神事があり、続いて、150メートルの馬場で一頭ずつ走る素駆(すがけ)で乗尻の姿勢や馬の速さを比べ、同じような二頭で速さを競う競馬を行います。乗尻が威勢のいい掛け声とともにむちを打って駆け抜けると、沿道を埋めた観光客から拍手が送られます。本番の賀茂競馬は5日午後2時ごろから始まります。



大念仏狂言
05月01日〜04日 千本ゑんま堂
【千本ゑんま堂へのアクセス】

JR京都駅中央口から

市バス206系統「乾隆校前」下車

京の3大念佛狂言のひとつ「千本ゑんま堂大念佛狂言」は上京区の千本ゑんま堂(引接寺)で5月1日から4日まで行われます。京都市の無形民俗文化財に指定されている千本ゑんま堂の狂言は他の狂言が無言劇であるのに対して、演目のほとんどがセリフ(有声)劇で演じられます。公演期間中はきまって初番に「えんま庁」が演じられ、最終日の一番最後には「千人切り」が演じられます。訪れた人々は面白いセリフや仕草に思わず笑い、念佛狂言をおおいに楽しんでいました。

神泉苑大念仏狂言
05月01日〜04日 神泉苑
【神泉苑へのアクセス】

京都市営地下鉄二条城前駅

3番出口→徒歩すぐ

池の水面に満開のツツジが映る神泉苑で5月1日から4日まで、京都市登録の無形民俗文化財となっている神泉苑大念仏狂言が境内の狂言堂において奉納されます。
 この狂言は壬生狂言の流れを汲み演者は面を付けて無言で演じます。この神泉苑狂言のことを「カンデンデン」と称する元になった金鼓、太鼓、笛の囃子の音はこの日、神泉苑いっぱいに響き渡ります。また3日は神泉苑祭もあわせて行われ、宵宮の2日には法成就池に浮かばせた船上での雅楽奉納や太鼓の奉納 、3日の本宮では子供みこしやお稚児さんのお練りが行われ、観客を楽しませます。




鴨川をどり
05月01日〜24日 先斗町歌舞練場
【先斗町歌舞練場へのアクセス】

京阪電車「三条」駅下車徒歩5分

市バス「河原町三条」下車徒歩5分

新緑の京都を美しく彩る「鴨川をどり」は、明治5年(1872年)東京遷都後の京都の繁栄を願って開かれた第1回京都博覧会の附博覧として、観光客誘致の一助として創演され、以来一世紀余にわたって継承され、豪華絢爛の舞台と京風芸舞妓姿の茶席の京情緒は洗練の美を誇る京の年中行事です。美しく楽しい華舞台、興趣の内容を盛った舞踊劇と艶麗京情緒の踊り絵巻の豪華番組は、国内はもとよりひろく海外にまで知られ、今や京の初夏に欠くことのできないものとなっています。鴨川をどりの茶席は、立礼式によって行われます。この式は椅子点と言い、明治5年仙洞御所で博覧会が開催された際に、裏千家11代目玄々齎宗匠が外人客の接待のお茶のために考案された点前作法です。現今諸流で行われている椅子点前と称する作法は、凡てこの立礼式が規範となっています。



流鏑馬(やぶさめ)神事
5月03日日 下鴨神社
【下鴨神社へのアクセス】

JR京都駅より
市バス(4・205系統)下鴨神社前(糺の森)下車
もともと”流鏑馬神事”は京都三大祭の一つである”葵祭”の道中安全を祈願する行事で、毎年5月3日に世界文化遺産の下鴨神社で執り行なわれます。『続日本記』には「文武天皇二年(698年)賀茂祭の日に民衆を集めて騎射を禁ず」とあり、また鳥羽上皇が糺の森の馬場において流鏑馬をご覧になったことが「中右記」にあります。100m間隔に設けられた三つの的(全長400mの馬場)を掛け声を上げながら射抜く姿は迫力満点で、新緑の糺の杜を訪れた大勢の観客からは拍手喝采で大変な賑わいを見せていました。

大般若経転読護摩祈祷会
05月03日 狸谷山不動院
【狸谷山不動院へのアクセス】

叡山電鉄「一乗寺」駅下車 徒歩約15分
市バス「一乗下り松町」下車 徒歩約10分

狸谷山不動院は「狸谷のお不動さん」 の名で親しまれており、叡山電鉄の一乗寺駅から東へ、白川通をこえて急な坂を20分くらい歩くとあります。本尊の不動明王像は、平安京の鬼門にあたるため、桓武天皇が不動明王を安置したことに始まります。不動明王が鎮座する本殿は、まるで清水の舞台のように斜面にそびえております。鎌倉時代に創建されて以来、修験道の修行場として信仰されてきました。境内には、宮本武蔵が打たれて修行し、心の剣をみがき、己に克つ”不動心”を会得したという武蔵滝があります。宮本武蔵が吉岡一門と決闘「下がり松」の前、修行をしたとも言われております。毎年5月3日は春祭りとして、不動明王の尊前にて護摩を焚き、600巻からなる大般若経を転読と言う独特の作法で読み上げます。参拝者は、全員でお経を唱え、交通安全災難除けの祈願をします。参拝者にはお加持が施されます。護摩を焚き、交通安全災難除けを祈願します。

還幸祭
05月03日 伏見稲荷大社
【伏見稲荷大社へのアクセス】

 JR奈良線”稲荷駅”からすぐ

又は京阪”伏見稲荷駅”より
徒歩約5分

伏見稲荷大社の祭の中でも、稲荷祭、すなわち神幸祭と還幸祭は大きな祭として知られています。太陽暦下の現在では、神幸祭は4月下旬の最初の日曜日、還幸祭は5月3日に定められています。神幸祭のときには、神輿が本社を出て伏見街道を北上し、洛中に入り、七条通を西に、醒ヶ井通を南に巡幸し、八条堀川近くの御旅所に座を移します。その後、還幸祭の日までは、御旅所にて氏子たちの参詣を受けます。還幸祭のときには、御旅所を出発した神輿は、御旅所前通りを西に、大宮九条をさらに西に、東寺(教王護国寺)二王門から寺内に入り、八幡宮前に到着します。東寺側がそこで神輿に御供をいたし、それから神輿は二王門を出て九条通を東に、大宮通を北に、松原通を東に、寺町通を南に、五条通を東に、伏見街道を南行して本社へ帰座します。昔は人手にて神輿の移動が行われたのでしょうが、今はトラックでの移動となっています。

葵祭斎王代女人行列御禊神事(平成19年は下鴨神社にて催行)
5月04日 上加茂神社・下鴨神社(毎年交互)
【下鴨神社へのアクセス】

JR京都駅より
市バス(4・205系統)下鴨神社前(糺の森)下車

京都三大祭りの一つ、葵祭(5月15日)を前に、ヒロインの斎王代が身を清める「御禊(みそぎ)の儀」が4日、京都市左京区の下鴨神社で行われました。色鮮やかな十二単(ひとえ)に身を包んだ斎王代をはじめとする女人列は、境内の南口鳥居を出発し、御手洗(みたらし)池まで優雅に進み、おはらいを受けた後、斎王代は池の水辺に移り、水に手を差し入れて身を清めます。新緑の輝く境内では、多くの観光客らが華やかな王朝儀式に見入っていました。「御禊の儀」は葵祭の前儀式で、同神社と上賀茂神社(北区)で1年交代で行われます。

競馬会(くらべうまえ)神事
5月05日 上賀茂神社
【上賀茂神社へのアクセス】

JR京都駅前より市バス9系統「上加茂御薗橋」下車、徒歩約5分
競馬会神事(くらべうまえじんじ)は毎年5月5日に上賀茂神社で催行されます。堀河天皇の寛治7年(1093)に始まりました。早朝より頓宮遷御(とんぐうせんぎょ)、菖蒲の根合せ等が行われます。乗尻(のりじり)は左右に分れ、左方は打毬(たぎゅう)、右方は狛鉾(こまぼこ)の舞楽装束を着け、馬に乗って社頭に参進します。勧盃、日形乗、月形乗、修祓、奉幣の儀を行い、次いで馬場にて順次競馳(きょうち)します。その様子は『徒然草』等にも書かれており、蓋し天下の壮観と言えます。京都市登録無形民俗文化財に登録されています。

駆馬神事(藤森祭)
5月05日 藤森神社
【藤森神社へのアクセス】

JR奈良線「JR藤森駅」下車徒歩約5分
京阪本線「墨染駅」下車徒歩約5分

藤森神社は今から約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い神社です。菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)又、競馬ファンの参拝者で賑わっています。5月5日に「藤森祭」が行われ、神輿、武者行列が巡行。境内では馬の上で曲乗りをする駆馬(かけうま)の神事が行われます。当日は屋台の店も立ち並び、沢山の人達で賑わいます。6月には境内では紫陽花が見頃を迎えます。

歩射神事
05月05日 下鴨神社
【下鴨神社へのアクセス】

JR京都駅より
市バス(4・205系統)下鴨神社前(糺の森)下車

弓矢を使って葵祭の沿道を清める魔除けの神事です。歩射神事は、三日に同神社で行われる馬上の流鏑馬に対して、地上で矢を射ることに由来しており、平安時代に宮中で行われていた「射礼(じゃらい)の儀」が始まりと伝えられています。射手が弓を鳴らす「蟇目式(ひきめしき)」で四方の邪気を祓い、鏑矢を楼門の屋根を越えて飛ばす「屋越式(やごししき)」、大きな的を射る「大的式(おおまとしき)」、連続で矢を射る「百々手式(ももてしき)」がそれぞれ行われます。また、この四式をもって「鳴玄蟇目神事(めいげんひきめしんじ)」と呼ばれ、賀茂祭(葵祭)の安全祈願とされています。

新熊野(いまくまの)祭
05月05日 新熊野神社
【新熊野神社へのアクセス】

市バス「今熊野」下車すぐ

平安後期、熊野詣盛んな頃、後白河上皇が平清盛に命じ、熊野の神をここに勧請するため、熊野より土砂材木等を運び社域を築き社殿を造営、神域に那智の浜の青白の小石を敷き霊地熊野を再現した熊野の新宮です。創建は1160年(永暦元年)境内の大樟は当時熊野より移植した後白河上皇お手植といわれています。又この神社は、日本楽史上紀元元年といわれる1374年(応安7年)観阿弥・世阿弥父子が足利三代将軍義満の面前で「猿楽」を演した地としても著名です。現本殿は1673年(寛文13年)聖護院道寛親王が再建した市指定重要文化財です。5月5日には「新熊野祭」が行われ、鳳輦、鼓笛隊、稚児武者などの行列が今熊野一帯を練り歩きます。




今宮祭(神幸祭)
05月05日 今宮神社
【今宮神社へのアクセス】

市バス「今宮神社前」下車すぐ

市バス「船岡山」下車徒歩約7分

「今宮祭」は平安の昔の「紫野御霊会」に始まり、以来、由緒と伝統のある「西陣の祭」として、毎年五月に今日まで営まれ続けています。祭礼は、毎年五月一日の神輿出し、五日の神幸祭、十五日(現在はこれに近い日曜日)の還幸祭とつづき、十九日の神輿おさめを以って終わります。神幸祭は「おいでまつり」還幸祭「おかえりまつり」とも呼ばれて親しまれています。神幸祭当日には、午前中の神事ののち午後神幸列を整え、車太鼓を先頭に、祭鉾、八乙女、伶人、御神宝等が続き相殿の御牛車、神輿三基の順に渡御、神職がこれに供奉、今宮通より所定の道筋に従って町々を巡幸し御旅所に入御します。還幸祭には御旅所を出御、所定の道筋に従って町々を巡幸し、夕刻東参道より本社に還御します。

泰山府君祭端午大護摩供
05月05日 赤山禅院
【赤山禅院へのアクセス】

市バス5,特5番で「修学院離宮道」

下車東へ徒歩約20分

毎年5月5日に、京都市の赤山禅院(せきざんぜんいん)で『泰山府君祭端午大護摩供』(たいざんふくんさいたんごおおごまく)が執り行われます。赤山禅院は、慈覚大師円仁の遺命により888(仁和4)年、天台座主・安慧(あんね)が創建しました。本尊は天台守護神の「赤山明神」です。これは陰陽道の祖である中国の泰山府君(たいざんふくん)のことで商売繁盛の神様です。もともとは中国、山東省の東岳泰山の神に対する古称ですが、円仁が比叡山に勧請し、延命・福徳の神となりました。『泰山府君祭端午大護摩供』では、大護摩供が雲母不動堂(きららふどうどう)で行なわれ、大般若経転読、御詠歌の奉納が行なわれます。境内には蓬の大祓の輪が設けられます。(写真参照)



例大祭地主祭り(神幸祭)
05月05日 地主神社
【地主神社へのアクセス】

市バス
 京都駅より(206番・100番)
 で五条坂下車、 徒歩約10分

家内安全・土地守護・事業繁栄・良縁達成を祈願するお祭りで、約1000年前の天禄元年、円融天皇行幸の際、勅命により行われた臨時祭がその起源。雅楽、白川女、武者、稚児などの行列は時代絵巻さながらです。かつて地主桜を御所に献上した様子を、白川女が当時そのままに伝えます。午後1時より『地主神社』ののぼりを先頭に、神宮、巫女、白川女などの列が、地主神社本殿前を出発します。そして子供みこし、稚児、武者などと合流して、雅楽の調べも賑やかに清水坂、三年坂、茶碗坂などを練り歩きます。午後2時過ぎには神社に戻り、そこで家内安全、無病息災、事業繁盛、世界平和などを祈願する祭典が行われます。

八瀬祭
05月05日 八瀬天満宮社
【八瀬天満宮社へのアクセス】


京都バス17・18系統「ふるさと前」下車徒歩約2分

八瀬天満宮社は祭神として菅原道真(すがわらのみちざね)(八四五〜九〇三)を祀っています。道真が亡くなった後、師である叡山(えいざん)法性坊阿闍(ほうしょうぼうあじゃ)梨(り)尊(そん)意(い)(八六六〜九四〇)の勧請(かんじょう)により建立されたと伝えられ、社殿の背面扉の内側には、十一面観音絵像が祀られています。十一面観音は道真の本地仏(仏としての姿)と言われています。道真が若い時、自己研鑽のため比叡山へ通う折り、此の地で休息したといわれ、江戸時代まで「矢(や)背(せ)天神宮」とも呼ばれたこの辺りの風情は、壬申(じんしん)の乱(六七二)の際,此の地で矢傷を癒した天武(てんむ)天皇以来の歴史を偲ぶことができます。天満宮社には九つの摂社が祀られ、本殿南側の秋元(あきもと)神社は、宝(ほう)永(えい)七年(一七一〇)比叡山との境界論争勃発の際、八瀬村の利権(租税の免除)を認めた裁決の報恩として、時の幕府老中で,この訴訟の担当者であった秋元(あきもと)但馬(たじまの)守(かみ)喬(たか)知(とも)を祀り、以来毎年「赦免(しゃめん)地踊(ちおど)り」が奉納されています。また裏山中腹には、足利(あしかが)尊(たか)氏(うじ)に追われ比叡山へ逃れた後(ご)醍醐(だいご)天皇の行(あん)在所(ざいしょ)(天皇が外出した時の仮の御所)があった「御所谷」、境内には、「後醍醐天皇御旧跡」、「復租紀恩碑」、「皇后陛下御歌碑」、「弁慶背比べ石」、「菅公腰掛け石」等の史蹟があります。天満宮社の例祭は五月五日です。秋元神社の例祭「赦免地踊り」(八瀬郷土文化保存会執行)は十月体育の日の前日夜に実施されます。     

山蔭神社例祭
05月08日 山蔭神社
【山蔭神社へのアクセス】

市バス
 JR京都駅より206番系統
京大正門前下車徒歩約5分

山蔭神社の御祭神は平安時代の公卿である藤原山蔭です。藤原山蔭卿は貞観元年(八五九)に平安京の鬼門守護の社として吉田神社を創建しました(故に、吉田神社は節分祭に力を入れているのです)。また、藤原山蔭卿は光孝天皇の勅命により、平安時代の料理作法(テーブルマナー)や調理法を定めたと伝えられています。従って、飲食業界からの崇敬の厚い神社なのです。其の藤原山蔭卿の偉大なる業績に因んで、山蔭神社の例祭では式庖丁が奉納されます。「式庖丁」とは、狩衣・烏帽子姿の庖丁師が、まな板上の魚や鳥に全く手を触れずに目出度い姿に盛りつける妙技です。




神幸祭
05月10日 新日吉(いまひえ)神社
【新日吉神社へのアクセス】

市バス206・208「東山七条」

徒歩約10分

新日吉神社は三十三間堂の東側、智積院を右に見て坂道を五分ほど登った 所にあります。 周囲は京都女子小、中、高、短大、大学校とあり、登下校時はそれは華やかな坂道です。新日吉神社は後白河上皇の時代、 永暦元年(1160)に創建されたと伝わります。「新日吉」は「いまひえ」と読みます。「新」の字が示すように滋賀県の坂本に ある日吉山王神社より神様を迎えて祀ら れたようです。毎年5月の第二日曜日には、神幸祭が盛大に行われ、華やかな行列が続きます。




菅大臣祭
05月10日〜11日 菅大臣神社
【菅大臣神社へのアクセス】

市バス 西洞院仏光寺 徒歩すぐ

 地下鉄 四条烏丸駅 徒歩約5分
 
菅大臣神社は約一千年前、天神様すなわち菅原道真公(845〜903年)の紅・白梅殿というお邸や、管家廊下(かんけろうか)と称する学問所の跡で、また公、誕生の地と伝えられ、境内には産湯の井戸が保存されています。仏光寺通を中心に南北二町、東西一町が当時のお邸で、公、大宰府へ左遷に当り”東風吹かばにほひおこせよ梅の花、主なしとて春なわすれそ ”
と詠まれた飛梅の地でもあります。菅原道真公を偲ぶお祭り「菅大臣祭」が5月の10日と11日に行われ、境内では茂山千五郎社中による狂言の奉納等も行われます。



御蔭(みかげ)祭
05月12日 下鴨神社
【下鴨神社へのアクセス】

JR京都駅より
市バス(4・205系統)下鴨神社前(糺の森)下車
御蔭祭(みかげまつり)は15日の葵祭りを行うにあたって八瀬にある御蔭神社から神霊を下鴨神社へ迎える神事です。朝に八瀬御蔭神社に向けて出発した神官達は、御蔭神社で神霊を迎える神事が行った後、通りを巡行しながら下鴨神社へ戻ります。そして3時半頃下鴨神社糺の森の切芝(祭祀場)で「切芝神事」を執り行い、東遊(あずまあそび)の舞を奉納します。神霊が馬に遷され社に迎えられる古い祭りの形態で、神霊は葵祭が終わるまで下鴨神社に祀られます。



春季大祭
05月13日 市比賣神社
市比賣神社へのアクセス】

京阪五条駅 徒歩5分 市バス河原町五条正面  3分
地下鉄 烏丸線「五条」より徒歩10分

女性の守り神として有名な、5月の第二日曜日に春季大祭が執り行われます。氏子・崇敬者の招福を願い、藤原経清・源為家が神社境内で行った「競弓(くらべゆみ)」の故実に倣い「斎矢・試弓神事」が奉納されます。午後から商売繁盛や招福を願う人々の名を裏面 に記した的に矢が射られます。矢の当たった人には1年間その矢が預けられ、願いが叶うという「斎矢神事」が行われます。いちひめ神社三種の御神物の一つ「霊爾の幸の御札」が授与されます。

葵祭
5月15日 上賀茂・下鴨神社
【上賀茂神社へのアクセス】
JR京都駅前より市バス9系統「上加茂御薗橋」下車、徒歩約5分
【下鴨神社へのアクセス】
JR京都駅より市バス(4・205系統)下鴨神社前(糺の森)下車

葵祭は古墳時代後期の欽明天皇(540〜571年)の時に、ひどい凶作に見舞われて飢餓疫病が蔓延したため、天皇が下鴨、上賀茂両神社に勅使をつかわして「鴨の神」の祭礼を行ったのが起源とされています上賀茂神社・下鴨神社の例祭です。お祭の日に、内裏神殿の御簾(みす)をはじめ、御所車である牛車や勅使、供奉者の衣冠そして牛馬にいたるまですべてに、葵の葉を飾りつけたことから、「葵」祭といわれています。行列は御所を出発して、下鴨神社を経由して上加茂神社へ向います。

やすらい祭(上賀茂やすらい祭)
5月15日 大田神社
【大田神社へのアクセス】

市バス 46,67系統「上加茂神社前」下車徒歩約8分

市バス 9、快9,37、北3、特北3系統「上加茂御園橋」下車徒歩約10分

葵祭の最終目的地である上賀茂神社へ勅使・斎王代が到着されるのは5月15日の午後四時前となりますがそれより前に、地元のお祭りである「上賀茂やすらい祭」が社家町界隈を練り歩きます。始まりは平安時代、桜の花 が終わる頃に疫病がはやったためいしにえびとは、花が散るのと同時に、悪霊や疫神がふりかかると言い伝え、花しずめの儀式を行い、これがやすらい祭の始まりとされています。4月に今宮神社などで先にありますが、上賀茂では葵祭にあわせ5月15日に行われます。この日は例年お天気が心配されるのですがからりとした五月晴れのもと、行列は子供達のお稚児さんや笛方がまずは町内をまわり、カキツバタが満開の大田神社、そして上賀茂神社に。赤熊(しゃぐま)とよばれる長髪の鬼が髪を振り乱しながら太鼓やかねをならします。この姿が珍しく、「京都三大奇祭」といわれた所以でないかと思われます。大田神社の大田の沢の杜若は天然記念物にも指定されていて、平安時代に藤原俊成卿が”神山や大田の沢の杜若ふかきたのみは色に見ゆらんむ”と詠んでいます。(俊成卿と平家の武将平忠度の都落ちのエピソードは平家物語でも涙を誘う有名場面ですね。蛇足ではありますが。)

やすらい祭(上賀茂やすらい祭)
5月15日 上賀茂神社
【上賀茂神社へのアクセス】

JR京都駅前より市バス9系統「上加茂御薗橋」下車、徒歩約5分
葵祭の最終目的地である上賀茂神社へ勅使・斎王代が到着されるのは5月15日の午後四時前となりますがそれより前に、地元のお祭りである「上賀茂やすらい祭」が社家町界隈を練り歩きます。始まりは平安時代、桜の花 が終わる頃に疫病がはやったためいしにえびとは、花が散るのと同時に、悪霊や疫神がふりかかると言い伝え、花しずめの儀式を行い、これがやすらい祭の始まりとされています。4月に今宮神社などで先にありますが、上賀茂では葵祭にあわせ5月15日に行われます。この日は例年お天気が心配されるのですがからりとした五月晴れのもと、行列は子供達のお稚児さんや笛方がまずは町内をまわり、カキツバタが満開の大田神社、そして上賀茂神社に。赤熊(しゃぐま)とよばれる長髪の鬼が髪を振り乱しながら太鼓やかねをならします。この姿が珍しく、「京都三大奇祭」といわれた所以でないかと思われます。

御霊祭
5月18日 上御霊神社
【上御霊神社へのアクセス】

地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」から徒歩3分

御霊神社(上御霊神社)は早良親王や井上内親王、橘逸勢、吉備真備など、非業の死を遂げた人々を祀る神社です。鳥居近くには「応仁の乱発祥の地」の碑があります。5月18日に催される御霊祭は、京都でも最も古い祭りといわれ、約400年前に後陽成天皇御寄進の御牛車や御輿3基なども渡御します。参道や境内には沢山の露天が並び、大勢の人出で夜遅くまで賑わいます。三基のお神輿が順番に境内を練る様は勇壮で壮観です。

御霊祭
5月第3日曜日 下御霊神社
【下御霊神社へのアクセス】
京阪『丸太町駅』下車すぐ

市バス『河原町丸太町』下車すぐ

下御霊神社の御霊祭は還幸祭として行われます。下御霊神社の例祭で、5月1日に神幸祭(おいで)として祭儀が営まれ、この日、還幸祭(おかえり)が営まれます。
還幸祭は、かつては5月18日に行われていましたが、現在では18日過ぎの日曜日に行われています。還幸祭では神幸列と神輿が氏子町内を練り歩きます。また、前日の5月20日の宵宮には、夕方より十二灯と呼ばれる提灯のお練りがあり、子供神輿が寺町二条まで巡行します。



神幸祭
05月19日 梛(なぎ)神社
【梛神社へのアクセス】

阪急・京都線「大宮駅」下車

西へ徒歩約4分

梛(なぎ)神社はスサノオノミコトほかを祭り疫病除けの神で知らています。貞観年間、京の悪疫退治のため祭神を東山八坂に祭る前にいったんこの地の梛の森に神霊を仮祭祀したのが起こりです。このため元祇園とも呼ばれます。祇園祭傘鉾の起こりも同社の祭祀に由来すると言われています。5月第3日曜は氏神祭で祭事のあと神霊を鳳輦(ほうれん、子供神輿)に移し、北・三条通、南・松原通、東・壬生通、西・土居の内通に囲まれた氏子社中を巡行します。特に少年勤王隊、獅子、鉾、花傘などの祭列は見ものです。



三船祭
05月20日(第3日曜日) 嵐山(車折神社)
【車折神社へのアクセス】

市バス又は京都バスで「車折神社前」、または京福電車の「車折」駅下車すぐ。

三船祭は、昌泰元年(898年)長月21日、宇多上皇が嵐山に御幸の際、大堰川 で御船遊びをしたことが始まりとされています。その後のたびたびの御船遊びで、詩歌、吟詠、管弦、舞楽など様々な御遊びがあったことにより、昭和3年車折神社では御大典を記念して、「三船祭」が始められました。その後に、例祭の延長神事として、現在のように5月第3日曜日に行われるようになりました。「三船祭」の名前の由来は、白川天皇が行幸の折に、「和歌」「漢詩」「奏楽」に長じたものを3隻の舟に乗せて御舟遊びをされたといわれていることから「三船」とされています。現在の「三船祭」では、御座船を先頭に20数隻の船が、嵐山や渡月橋上流で優雅な様をみせてくれます。



親鸞聖人降誕会
05月21日 西本願寺
【西本願寺へのアクセス】

JR京都駅 市バス『京都駅前』より9番,28番,75番に乗車
『西本願寺前』で下車すぐ

親鸞聖人は、承安3年(1173)の5月21日にお生まれになりました。西本願寺では明治7年(1875)より、この日を「降誕会」と名づけ、親鸞聖人のご誕生を祝って、多くの行事が催されます。お生まれになったのは、JR京都駅の東南約10キロメートルにある、現在の京都市伏見区日野大道町の法界寺の近辺であると伝えられています。父は藤原家の流れをくむ日野有範さまとのことであり、藤原一門と言っても「正五位下」という下級貴族であったようです。聖人は90年の生涯を通して、たくさんの教えと著作を残されながら、ご自身の出世・生涯についてほとんど語られていません。聖人のご幼少の頃のことは、伝説にはいろいろとありますが、9歳の春に出家得度されたことのほかは、ほとんどわかっておりません。仏教で一般に行事といえば、人が亡くなってからの年忌法要等が多い中でお釈迦さまのお誕生日を祝う「花まつり」と並んで、聖人の「降誕会」が毎年行われていることは、信者にとって特別に意義の深いことだと思われます。



業平忌
05月28日 十輪寺
【十輪寺へのアクセス】

JR桂川駅又は阪急桂駅西口よりバス

で各13分境谷大橋下車すぐ

平安時代の六歌仙の1人で、伊勢物語の主人公の在原業平が晩年を過ごしたという京都市西京区大原野の十輸寺で毎年5月28日に「業平忌三弦法要」が営まれます。法要は、業平の命日に合せて毎年行われます。本堂の正面に設けられた特設舞台では、泉浩洋住職が三弦を奏でながら、般若心経を独特の節回しで響かせます。また、舞愛好家の笠原芙美子さん=中京区=が、泉住職の振り付けた声明舞を優雅に奉納した。このほか、地唄舞や小唄、生け花等もも奉納され、風流人だあった業平を偲びます。