一月(睦月)

京都薪能
06月01日〜02日 平安神宮
【平安神宮へのアクセス】

JR「京都駅」中央口から5系統のバス「京都会館美術館前」下車〜徒歩5分

京都の初夏の風物詩として親しまれているものに京都薪能があります。昭和25年から始められ、今年(2009年)で60年になります。東山に夕闇が迫り篝火がたかれ始めると、平安神宮の朱塗りの社殿がライトアップされ、特設の能舞台がくっきりと現れ、荘厳な雰囲気が辺りを包みます。観世・金剛・金春・大蔵の各流派のすぐれた演者の競演は能・狂言・小舞・仕舞へと続き、観客を幽玄の世界に誘い込みます。

雷除大祭
06月01日 北野天満宮
【北野天満宮へのアクセス】

JR「京都駅」から50・101系統のバス「北野天満宮前」下車すぐ

火雷神を祀った北野天満宮の摂社火之御子社は、本社北野天満宮鎮座天暦元年(947)以前よりこの地にあり「北野の雷公」と称えられ、雷電・火難・五穀の守護として、朝廷より篤い崇敬されて来ました。元慶年間(877〜885)には、藤原時平(右大臣)の父基経(太政大臣)が五穀豊穣を祈願され、延喜4年(904)には、藤原左衛門督を使として御祭を斎行された記録があります。平安時代、朝廷では主に雨乞い・豊作を祈願されていたが、次第に雷除けが主となり、農業・林業関係者に広く信仰されてきたが、大正中期に電気工事従業者が工事安全祈願をされるようになってからは、電気関係(電カ会社等)の崇敬も篤くなり、近年ではゴルファーや釣り人の間でも信仰が広がっています。当日は境内では若手の落語家による寄席も催されます。




貴船祭
06月01日 貴船神社
【貴船神社へのアクセス】

出町柳駅から叡山電車「鞍馬行き」に

乗り「貴船口」下車徒歩約20分

 京都の清遊地、川床料理で知られる京都市左京区貴船では毎年6月1日に貴船神社の例祭、貴船祭が催されまます。貴船祭は、本殿で神職の祝詞奉仕に始まり、舞楽、御輿が巡幸して奥宮に移るのに続いて、地元の子どもらが「おせんどんどん」と声をかけあいながら「船型石」の周りを何回もまわって健やかな成長を祈願する子供千度詣、ヤマタノオロチ退治の神話を再現する出雲神楽、など1日で様々な行事がとり行われます。



祇園放生会
6月01日(6月第一日曜日) 祇園白川・巽橋周辺
【祇園白川巽橋へのアクセス】

京阪「四条駅」下車徒歩約8分

阪急「四条河原町駅」下車徒歩約15分

京都の観光スポットとして有名な祇園巽橋で1日、祇園放生会が行われました。人間の食膳にのる生き物の恵みに感謝し、魚や鳥などを池や野に放って供養する行事である放生会。これは「梵網経」放生戒にある、この世に生を受けた生きとし生ける一切の衆生は、全て輪廻する己自身の姿であり、我が父母兄弟である、との教えに基づいているのだそうです。比叡山の大阿闍梨による奉修が営まれた後に橋から回峰行者、舞妓さん、一般の参加者によって、去年に引き続き鯉ではなく金魚が白川に放流されました。 

信長忌
06月02日 阿弥陀寺
【阿弥陀寺へのアクセス】

市バス河原町今出川下車 徒歩約10分
阿弥陀寺は、清玉上人が近江の坂本に創建したことにはじまり、信長の帰依を受け京に遷りました。もとは上京区上立売通大宮東入阿弥陀寺町にありました。清玉上人は、本能寺の変の際、いち早くかけつけ信長等の遺骸を収め、寺に葬ったとされています。その数年後、寺地は現在地の寺町に移りますが、墓も改葬されともに移されました。上の写真は現在の阿弥陀寺にある信長信忠の墓です。墓の前にはしゃく勿谷石製(福井県産の凝灰岩)の灯籠(写真の右端)が1基建っています。天正13年の年号が読みとれます。ただし上の笠の部分は後世のものと思われます。阿弥陀寺の跡地には、織田信長と稲荷をまつる織田稲荷社が祀られました。しかし近年の土地開発によって織田稲荷は潰され、今宮神社の境内へ移されました。毎年6月2日には信長忌が催され、織田家の子孫の方々も参拝されます。

開山忌
06月05日 建仁寺
【建仁寺へのアクセス】

市バス206,207,特207番で

「東山安井」下車

西へ徒歩約5分

建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。栄西禅師は臨済禅とともに茶種、喫茶法を中国から持ち帰ったことでも有名です。4月20日の誕生忌に催される四つ頭茶会は禅院茶礼の伝統を今日に伝えています。裏千家では13代家元 円能斎宗匠の時、明治18年(1885)から6月5日の開山忌に献茶式を行うのが恒例となっています。

田 植 祭 (たうえさい)
6月10日 伏見稲荷大社
【伏見稲荷大社へのアクセス】

JR奈良線”稲荷駅”からすぐ、又は京阪”伏見稲荷駅”より徒歩約5分
田植蔡(たうえさい)は伏見稲荷大社の神田で五穀豊穣を祈願して行われる。雅楽の演奏と”御田舞”の中、早乙女たちが早苗を植えていく、優雅な行事です。10月になると”抜穂蔡”で刈り取られる。

御田植祭
06月10日 上賀茂神社
【上賀茂神社へのアクセス】

JR京都駅前より市バス9系統「上加茂御薗橋」下車、徒歩約5分

御田植祭は稲実の豊凶を占う上賀茂神社独特の神事で、天平勝宝二年(七五〇)より始まると云われています。御田植祭のクライマックスは、神事橋に並んだ神職達が背中越しに早苗を川中に投じるという独特の所作で、数ある京都の田植神事の中でも一際異彩を放っています。先ず本殿で、お田植祭の神事があります。お田植祭は五穀豊穣を祈願して行われるものです。秋に実り豊かな米を収穫出来るようにと願います。本殿から片岡社に移動して神事があり、本殿に戻り渉渓園で行われる「お田植祭」に移動します。渉渓園で、お祓いをした後に祝詞をあげ神事が始まります。神事が終わると早苗を投げる神職さんが御神酒を飲まれ、カゴから早苗を1束づつ受け取ります。整列後、ならの小川に移動します。ならの小川の石橋の上から後ろ向きに早苗を川に投げていきます。

青柏祭
06月10日 北野天満宮
【北野天満宮へのアクセス】

JR「京都駅」から50・101系統のバス「北野天満宮前」下車すぐ

山蔭神社の御祭神は平安時代の公卿である藤原山蔭です。藤原山蔭卿は貞観元年(八五九)に平安京の鬼門守護の社として吉田神社を創建しました(故に、吉田神社は節分祭に力を入れているのです)。また、藤原山蔭卿は光孝天皇の勅命により、平安時代の料理作法(テーブルマナー)や調理法を定めたと伝えられています。従って、飲食業界からの崇敬の厚い神社なのです。其の藤原山蔭卿の偉大なる業績に因んで、山蔭神社の例祭では式庖丁が奉納されます。「式庖丁」とは、狩衣・烏帽子姿の庖丁師が、まな板上の魚や鳥に全く手を触れずに目出度い姿に盛りつける妙技です。



沙羅の花を愛でる会
6月12日〜30日 東林院(妙心寺)
【東林院へのアクセス】

JR山陰本線(嵯峨線)「花園駅」下車徒歩8分
市バス「妙心寺北門前下車」徒歩3分
市バス「妙心寺前」下車徒歩5分
沙羅双樹の大樹がある(正確には2〜3年前まであったが、今は枯れてしまい大樹は無い)東林院は、臨済宗妙心寺の塔頭です。享禄4年(1531)、細川氏綱が父の菩提を弔うため上京区に建てた三友院にはじまり、弘治2年(1556)、山名豊国が妙心寺山内に移し、東林院と改めました。以来、山名家の菩提寺となっています。『平家物語』の冒頭にもある沙羅双樹は、梅雨に白い椿のような花をつけ、雨に打たれるとすぐ散ってしまい、そのはかなさに心を打たれます。東林院のは樹齢300年。枯山水庭園や水琴窟もあります。通常は非公開の寺だが、1月の「小豆粥の会」、6月の「沙羅の花を愛でる会」などに公開されます。

桔梗を愛でる特別公開
6月13日〜7月17日 天得院(東福寺)
【天得院へのアクセス】

JR奈良線「東福寺」下車徒歩5分
京阪本線「東福寺」下車徒歩5分
大本山東福寺の塔頭の天得院、知る人ぞ知る京都屈指の花の寺です。当寺の栞によりますと、春は緑の御衣黄桜、4月キリシマツツジ、5月さつき、6・7月と10・11月は桔梗、7月9月は二度咲きの萩、9月は白の彼岸花、雪化粧の頃は各種椿と、四季折々の花が楽しめます。6月は桔梗の時季になりますが、6月中旬(年により変る)から公開されます。見頃は7月になってからとのことです。当山は正平年間(1346年〜1370年)開山した東福寺五塔頭の一つでしたが、豊臣秀頼の請に応じ、当寺の文英清韓長老が方広寺の鐘銘を撰文、その中の「国家安康君臣豊楽」の文が家康の怒りに触れ、そのため寺は壊されていましたが、天明9年(1789年)堂宇が再建され現在に至っています。

御神楽奉納・奉告
6月14日 八坂神社
【八坂神社へのアクセス】
阪急「四条河原町駅」から徒歩約10分、またはJR「京都駅」中央口から市バス100・20系統祇園下車すぐ
15日の例祭に先だち、弥栄会雅楽会による『人長の舞』の奉納がありました。神楽は神意を慰める為に起った楽で、その原流は上古に遡ります。神楽人の長が舞うので人長(にんちょう)の舞と言います。生憎の雨模様でしたが篝火の中で幻想的な舞でした。

例祭
6月15日 八坂神社
【八坂神社へのアクセス】
阪急「四条河原町駅」から徒歩約10分、またはJR「京都駅」中央口から市バス100・20系統祇園下車すぐ
6月15日八坂神社の例祭では、「東遊び」の奉納が行われます。東遊びとは「東遊びの耳訓れたるはなつかしく面白く」と「源氏物語」に描かれたように、平安時代の宮廷ではよく行われたという行事で、もとは東国の神事芸能だったため、東の名がついたといいます。舞殿では居並ぶ楽人たちが笛やひちりきなどで曲を奏で、舞人たちが典雅な舞いを披露します。

青葉まつり
6月15日 智積院(ちしゃくいん)
【智積院へのアクセス】

JR京都駅よりバス約10分、東山七条下車すぐ、又は京阪七条駅より徒歩約10分
青葉まつり(あおばまつり)は宗祖:弘法大師、中興の祖:興教大師のお二人の誕生が6月であることにちなみ、毎年6月15日(青葉の季節)に行われる。クライマックスは柴燈大護摩供法要です。

あじさい祭
6月15日 藤森神社
【藤森神社へのアクセス】

JR奈良線「JR藤森駅」下車徒歩約5分

京阪本線「墨染駅」下車徒歩約5分

藤森神社は、平安京以前(摂政3年、203年)に神功皇后が新羅(しらぎ)出兵から凱旋してその武器と旗をこの地に納め、神を祀ったのが起源とされるとても由緒ある神社です。毎年5月5日に藤森祭が行われています。この祭は菖蒲(しょうぶ)の節句発祥の祭として有名。この日駆馬の神事が行われ、勝運と学問の神様ということで、馬の調教師や競馬関係者の参拝も多い様です。境内に紫陽花苑があり、6月上旬から7月上旬にかけて紫陽花が見頃になり、6月15日には”あじさい祭”が開催され、蹴鞠や雅楽の奉納等も行われます。梅雨時期の花といえば紫陽花(あじさい)ですね。紫陽花は、七変化と言われるように咲いているうちにだんだん色が変化していきます。そのためか花言葉は「移り気」です。紫陽花は現在いろいろな色の品種が売られています。青、白、ピンク、紫、赤に緑・・・でも本来の日本の紫陽花は青だったそうです。紫陽花についてよく言われる話ですが、土壌が酸性だと青くなり、アルカリ性だと赤くなります。もともとの日本の土壌は酸性であるため、日本古来のアジサイは青だそうです。「紫陽花」の語源は一説によると、「青い花が集まっている」ので、集めるの意の「あづ」に青の意の「さ藍」で「アヅサアイ」から「アジサイ」となったということです。

弘法大師降誕会
06月15日 東寺
【東寺へのアクセス】

JR「京都駅」西口から南西へ徒歩約15分
6月15日は、弘法大師が御誕生になられた日です。東寺では御影堂で「ご誕生記念法要」がおこなわれ、東寺の境内では「おさなごのつどい」があります。境内では灌仏式がおこなわれ、献灯・献供・献花・献香・灌仏をします。弘法大師像に甘茶をかけます。御影堂で法要が10:00よりおこなわれます。御影堂には弘法大師像が置かれています。東寺の横にある洛南高校の吹奏楽部さんが法要に参加します。御影堂に僧侶さん達が到着されるまで演奏します。僧侶さん達が列を組み信者さんが見守る中、御影堂に入られ法要がおこなわれます。法要の途中で、付近の各園の園児達が次々と来て、おまいりをします。法要が終わると隊列を組み吹奏楽部・僧侶さん達が戻られます。東寺の境内では引き続き、灌仏式やおさなごのつどいがおこなわれます。吹奏楽の演奏や園児達が、みんなでうたを唄います。

都の賑わい
06月19日 京都会館
【京都会館へのアクセス】

地下鉄東西線「東山」駅 下車 2号出入口より北へ徒歩約8分

京都市バス 5・32・46系統 「京都会館・美術館前」 下車すぐ

京都には花街が五箇所存在します。先斗町(ぽんとちょう)、祇園甲部(ぎおんこうぶ)、宮川町(みやがわちょう)、祇園東(ぎおんひがし)、上七軒(かみしちけん)の五花街です。それぞれの花街に歌舞練場(かぶれんじょう)があり、舞妓さんや芸妓さんが舞や唄のお稽古を重ねておられますが、それぞれの街のお座敷で楽しむことは日常できましても、すべての花街の舞妓さんや芸妓さんをいちどに楽しむことは普通できません。ところが一年に一度だけ五花街の合同で公演をされます。毎年6月に二日間に限り京都会館第一ホールにて開催されます。「都の賑わい」として公演されており今年で第17回(2010年)を数えます。



竹伐り会(たけきりえしき)
6月20日 鞍馬寺
【鞍馬寺へのアクセス】

鞍馬寺本殿まで、叡山鉄道”鞍馬駅”から徒歩約30分(途中まではケーブルカー使用も可)
竹伐り会式(たけきりえしき)は水への感謝と災禍を断ち切る儀式と言われている。太くて長い竹は大蛇を表し、峯延上人が真言を唱え、大蛇を退治した故事に由来する。江戸時代中期から近江座・丹波座に別れ、竹を五段に伐る早さを競う様になった。早い方の地域が豊作になると言われている。

御誕辰祭・大茅の輪くぐり
6月25日 北野天満宮
【北野天満宮へのアクセス】
JR「京都駅」から50・101系統のバス「北野天満宮前」下車すぐ
この日は祭神菅原道真公の誕生日にあたります。又25日は『天神さん』の市が立つ日でもあり、露天で天満宮周辺は一日中賑わいます。9時より本殿にて祭典が行われます。又早朝から楼門前にに茅で作った大茅の輪が設置され、この輪をくぐると無病息災でいられると言います。(大茅の輪くぐり)8の字に2回くぐり抜ける作法があります。

夏越大祓
6月30日 地主神社
【地主神社へのアクセス】
市バス
 京都駅より(206番・100番)
 で五条坂下車、 徒歩約10分
地主神社では6月30日に悪疫退散・健康祈願。の夏越大祓の祭典が行われます。この祭りは奈良時代の宮中行事でもありました。地主神社本殿前に直径2メートルの「茅の輪(ちのわ)」をしつらえ、三度この輪をくぐり残りの半年の無事息災・健康を祈ります。同時に「人形祓い神事」など、素朴で珍しい神事も催行されます。

大 祓 式(おおはらえしき)
6月30日 松尾大社
【松尾大社へのアクセス】

阪急電車嵐山線”松尾駅”下車すぐ
大祓(おおはらえ)とは、6月(夏越の祓)と12月(年越の祓)に全国の神社で行われている神事です。夏越の祓では、茅の輪をくぐり、半年の罪や穢れを祓い清めると言われています。30日は15時から大祓詞(おおはらえのことば)を十回奏唱する百度祓””の後、境内を流れる川に身の穢れをうつした人がた・車がたの紙を流し、引き続き16時から神主さんと茅の輪をくぐる大祓式が行われます。



夏越の大祓い
06月30日 平安神宮
【平安神宮へのアクセス】

JR「京都駅」中央口から5系統のバス
「京都会館美術館前」下車〜徒歩5分

『水無月の夏越の祓いする人は千年(ちとせ)のいのち のぶといふなり」これは茅の輪をくぐって、厄をのがれるときに唱える言葉です。6月30日には、左京区の平安神宮の応天門の正面に茅の輪が設置されます。訪れた人々は茅の輪の前で写真を撮ったり、茅の輪をくぐり、家内安全、無病息災を願っています。同宮では6月30日、午後4時から恒例の夏越の大祓い式が執り行われます。




夏越大祓
06月30日 野宮神社
【野宮神社へのアクセス】

京福「嵐山駅」下車徒歩約10分

阪急「嵐山駅」下車徒歩約20分

野宮神社の夏越大祓は14時〜『源氏物語』旧跡にて執り行われます。黒木の鳥居に設けられた茅の輪くぐりは22日から始まります。夏越祓は、日々の罪・汚れを祓い清め、暑い夏を無事にすごし、残る半年の無病息災を祈願する神事です。1年の折り返しにあたる6月30日、あるいは少し前に各地の神社で、執り行われます。神社よって作法は異なりますが、基本的には社頭に設けられた大きな茅の輪を三回廻って、汚れを祓い清めるというものです。紙の人形(ひとがた)に息を吹きかけたり、それで身体を撫でることで汚れを人形に移した後、水に流したり、焼納するところもあります。また、この日に和菓子「水無月」を食べる風習もあります。小豆をのせた三角形の外郎(ういろう)です。その形は氷を表し、小豆は疫病の悪魔祓いの意が込められています。




夏越大祓式
06月30日 岡崎神社
【岡崎神社へのアクセス】

市バス5,32,203番系統にて「岡崎神社
前」下車すぐ。

京都では六月」三十日は『夏越祓』(なごしはらえ)の日です。この半年の罪のけがれを祓い、夏以降の疫病除けを祈願する行事です。ここ岡崎神社では素戔嗚尊(すさのうのみこと)に旅の宿を供して、難儀を救ったと云われる蘇民将来(そみんしょうらい)が素戔嗚尊の教えに従って腰に茅の輪を下げたところ、子孫代々に至るまで災いなく栄えたと云う 故事にちなみ茅の輪をくぐる神事が伝わります。

夏越大祓式
06月30日 吉田神社
【吉田神社へのアクセス】

JR「京都駅」中央口から206系統の市バス約28分「京大正門前」下車徒歩約5分
 

半年間の罪や穢れを祓い、残る半年間の無病息災を祈る「夏越大祓式」が6月3030日に左京区の吉田神社において行われます。午後4時よりお祓いが行われた後、神職や訪れた大勢の参拝者らが「みなつきの なごしのはらひするひとは ちとせのいのちのぶといふなり」と唱えながら3度、茅の輪をくぐります。引き続き、人形(ひとがた)を奉納した参拝者らに厄除けの茅が授与されます。この神事は厳しき夏を乗り越え、健やかに暮らす事を祈り宮中でも行われています。参拝者には当日、門口に飾り家内安全を祈る「茅の輪」が無料で授与されます。

夏越大祓式
06月30日 白峯神宮
【白峯神宮へのアクセス】


地下鉄 烏丸線「今出川」より徒歩約12分
市バス 系統多数、「堀川今出川」より徒歩約1分

白峯神宮(しらみねじんぐう)は、堀川今出川を少し東へ入ったところにある。旧白峯宮で、昭和15(1940)に官幣大社に昇格し、神宮号の宣下を受けて白峰神宮となりました。正面鳥居の前に立つと、背後に門と土塀があるのが他の神社とは違っています。今出川通に面した交通量の多い市街地にありながら、境内は静かで広くなっています。門を潜ると東側に、名水・飛鳥井があろます。その東側に境内社の三社(潜龍社、伴緒社、地主社)が並んでいて、その一番南の地主社の祭神は精大明神です。蹴鞠道の神様です。元々白峯神宮の社地は蹴鞠の宗家であった公家・飛鳥井家の邸跡で、飛鳥井家の屋敷神だだったものです。表の鳥居背後に門と土塀があったのは、屋敷跡を神社としたためです。地主社は現在サッカーの守護神として、日本サッカー関係者をはじめ球技関係者の参詣も多いです。この白峯神宮では毎年6月30日と12月31日には大祓が行われます。これが夏越祭と年越祭といいまして神道では最も重要な行事です。半年の間に積もった身の罪穢れを祓い清めます。夏には茅の輪を∞形に3回くぐり、その度に、茅の葉に罪穢れが移り、身が清らかになると言われています。

夏越の大祓式
06月30日 車折(くるまざき)神社
【車折神社へのアクセス】

市バス又は京都バスで
「車折神社前」
または京福電車の「車折」駅
下車すぐ。
車折神社の御祭神は、清原頼業公です。平安時代後期の方で、苗字からもわかるように、三十六歌仙の一人、清原元輔や清少納言の一族にあたります(境内には清少納言霊社もあります)。和漢の学識と実務の手腕が当代無比と称えられた清原頼業公は、文治5年(1189年)に逝去し、この地に廟が設けられました。そして頼業公の法名に因んで「宝寿院」という寺が営まれます。この廟がこの神社の前身です。頼業公は生前、殊に桜を愛でておられたので廟には多くの桜が植えられ、建立の当初より「桜の宮」と呼ばれていました。鎌倉時代の前期、後嵯峨天皇が嵐山の大堰川(おおいがわ)に御行幸された際にこの「桜の宮」の前で牛車の轅(ながえ―牛の背中に通っている棒)が折れました。そこで、この社に「車折大明神」の御神号と「正一位」の位が贈られ、それ以後「車折神社」と称することとなりました。境内社の「芸能神社」も有名です。もともと境内社のうちの「地主神社」に祀られていた御祭神『天宇受売命(あめのうずめのみこと)』(芸能の神様)を、芸能・芸術関係(特に映画関係)の人々が篤く参詣していたそうです。そんな人々の要望をもとに、昭和32年に『天宇受売命』を分祀し創建されたのが「芸能神社」です。「芸能神社」の境内他には、芸名・ペンネーム・劇団等の団名を記した朱塗りの玉垣が2,000枚以上奉納されています。よく知られている有名芸能人の玉垣もたくさん発見できます。車折神社では茅の輪くぐりが6月1日から30日まで行われます。その際には、罪穢れを移した人形を神職がお焚き上げして、祓い清めます。

夏越大祓
06月30日 梅宮大社
【梅宮大社へのアクセス】

市バス【3】・【28】・【29】

【71】系統にて

「梅ノ宮神宮前」下車

徒歩約3分

夏越大祓は、日々の罪・汚れを祓い清め、暑い夏を無事にすごし、残る半年の無病息災を祈願する神事です。 1年の折り返しにあたる6月30日、あるいは少し前に各地の神社で、執り行われます。神社によって作法は異なりますが、基本的には社頭に設けられた大きな茅の輪を三回廻って、汚れを祓い清めるというものです。紙の人形(ひとがた)に息を吹きかけたり、それで身体を撫でることで汚れを人形に移した後、水に流したり、焼納するところもあります。
また、この日に和菓子「水無月」を食べる風習もあります。小豆をのせた三角形の外郎(ういろう)です。その形は氷を表し、小豆は疫病の悪魔祓いの意が込められています。梅宮大社では茅の輪はありませんが、30日の夏越祓は、折からのアジサイや睡蓮が咲き誇り、氏子の代表が参加して行われる素朴な神社の催事は味わい深いものがあります。



夏越の祓
06月30日 城南宮
城南宮へのアクセス】

JR京都駅から京都市営バス

19号系統「城南宮」下車すぐ

夏越の祓えは、日本の夏の風物詩ともいえる古来からの風習です。参列者で大祓(おおはらえ)の詞を唱え、ついで茅の輪をくぐり抜けます。そして神苑の春の山に進み、人形(ひとがた)を禊(みそぎ)の小川に流します。こうして半年の間の罪や穢れを祓い心身を清浄にして、これからの暑さに負けないよう、また残り半年の無病息災を祈願するものです。城南宮では夏越の祓に先立ち、6月25日〜30日までの間であれば、9時より16時まで、随時「茅の輪くぐり」と「人形流し」を行うことができます。

水無月大祓式
06月30日 上賀茂神社
【上賀茂神社へのアクセス】

JR京都駅前より市バス9系統「上加茂御薗橋」下車、徒歩約5分

神代の昔に、スサノオノミコトが旅行の途中、一夜の宿を借りようとされました。蘇民将来・巨旦将来の兄弟にお願い頼したところ、弟の巨旦将来は、裕福であるにもかかわらず拒絶しました。兄の蘇民将来は貧しい生活でしたが、ミコトをお泊めして精一杯のもてなしをしました。数年後、ミコトは再び蘇民将来の家を訪れて、「天下に悪い病気が流行したときには、茅萱で輪を作り、腰に付けておけば災難をまぬがれるだろう」と教えられました。後に、悪い病気が流行し、ミコトの教えを守った蘇民将来の一族だけは災難をまぬがれることが出来ました。毎年6月30日の水無月大祓式(みなづきのおおはらえしき)では朝10時、神職が茅の輪をくぐったあと、参拝者が左回り、右回り、左回りと三度通り抜け、橋殿(はしどの)で半年間の罪穢れを祓い清められる人形に氏名・年齢を記し、息を吹きかけて穢れ(けがれ)を移し、神社に納められます。



大祓式
06月30日 熊野神社
【熊野神社へのアクセス】

市バス・京阪バス
熊野神社前下車すぐ

京阪電車・神宮丸太町下車
徒歩約5分

熊野神社は長弘仁二年(811)修験道の始祖役小角(えんのおづぬ)の十世僧日圓が、国家護持のために紀州熊野大神を勧請したのに始ままります。
寛治四年(1090)白河上皇の勅願により創立された聖護院は、熊野神社を守護神として祟められ、別当職を置いて管理しました。平安末期には後白河法皇が度々熊野詣を行われたましが、熊野神社にも厚く尊信をよせられました。応仁の乱により社殿は焼失しましたが、寛文六年(1666)聖護院宮道寛法親王は、令旨を下し再興され、その境域は鴨川に至る広大なものでありました。その後、天保六年(1835)にも大修造が行われた。現在の本殿は、この時、賀茂御祖神社(下鴨神社)から移築された代表的な流れ造りです。毎年6月30日にはここ熊野神社でも大祓式が執り行われます。熊野神社の茅の輪は本殿前に置かれます。また人形も置かれています。人形に名前と年齢を書き、自分の息を吹きかけます。熊野神社では、最初に茅の輪くぐりをします。神職さんが先頭で、氏子さんや一般の人などが後ろに続きます。茅の輪をくぐる時に、「水無月の夏越の祓する人は 千歳の命のぶというなり」と唱えます。最後に茅の輪をくぐると、そのまま本殿内に入り神事が行われます。神事では、祓いや清めの紙で自身を清めます。大祓式が終わると、水無月が配られます。



夏越祓
06月30日 建勲神社
【建勲神社へのアクセス】

市バス 1、12、204、205、206、

北8、M1系統

「建勲神社前」下車

船岡東通りを南へ徒歩3分

建勲神社は、明治2年(1869)、明治天皇の御下命により創建された織田信長公をお祀りする神社です。明治8年(1875)に別格官幣社に列せられ、京都の船岡山に社地を賜りました。明治13年(1880)に御嫡子織田信忠卿を配祀し、明治43年(1910)に山腹から山頂へ社殿を移建し現在に至っています。
船岡山は玄武の小山として平安京造営の際に北の基点になったとされる小高い丘で、緑豊かな建勲神社の境内からは比叡山や大文字山(如意ヶ嶽)など東山三十六峰の眺望も楽しめます。正式には「たけいさおじんじゃ」といいますが、一般には「けんくんじんじゃ」「けんくんさん」として親しまれています。毎年6月30日には夏越祓が執り行われます。
神事の後、茅の輪くぐりが始まります。有料ですが人形(ひとがた)が授与されます。



夏越大祓式
06月30日 藤森神社
【藤森神社へのアクセス】

JR奈良線「JR藤森駅」下車
徒歩約5分

京阪本線「墨染駅」下車
徒歩約5分

藤森神社は、今から約1800年前に神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社です。本殿は正徳2年、中御門天皇より賜ったものです。特にこの神社は、菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主、騎手等)又、競馬ファンの参拝者でにぎわっています。藤森神社でも毎年6月30日には夏越大祓式が執り行われ、茅の輪をくぐる事によって、半年間の汚れを祓い清めて無病息災を祈願します。境内では参拝者がカヤでミニ茅の輪を作り、お守りとして持ち帰っておりました。



夏越の大祓祭
06月30日 地主神社
【地主神社へのアクセス】

市バス
 京都駅より(206番・100番)
 で五条坂下車、 徒歩約10分

地主神社fr毎年6月30日に執り行われる夏越の大祓祭は悪疫退散・厄除・開運招福を祈願するお祭りです。夏越しの大祓いは、奈良時代の宮中行事であり、日本最古の宗教儀礼とも言われています。本殿前に直径約2mの茅の輪をしつらえ、3度この輪をくぐる『茅の輪くぐり』の神事や、人形(ひとがた)を流して、半年間の厄落としを祈願します。『茅』は『チガヤ』という植物で、鋭利な葉を持っています。古人がこの葉により身や心についた汚れをそぎ落とそうと考えたのが、儀礼のはじまりです。当日は茅の輪守りが授与されます。