一月(睦月)

亥子祭
11月01日 護王神社
【護王神社へのアクセス】

JR京都駅から地下鉄烏丸線
「丸太町」下車徒歩約5分
京都では「いのしし神社」として親しまれている護王神社。亥子祭は、亥子餅の儀式で、平安朝時代に宮中の年中行事として行われており、天皇が自ら餅をつき、皆で食することにより無病息災を祈ったものです。護王神社の亥子祭は、その平安時代の儀式を再現すものです。「おつき式」では、宮司が天皇に、祭員が殿上人に扮し、一般から公募した奉仕女房が拝殿で優雅な儀式を繰り広げます。その様子はあたかも平安絵巻のひとこまのようです。作られた亥の子餅は神前に供えられ、また調貢行列をつくって京都御所へ献上されます。


京都御所秋季一般公開
11月01日〜05日 京都御所
【京都御所へのアクセス】
地下鉄烏丸線今出川駅下車徒歩約5分

市バス烏丸今出川下車徒歩約5分
京都御所では春と秋の年二回、一般公開があります。普段の参観では事前に宮内庁に葉書で申し込みをしなくてはいけないですが、一般公開の間は時間内であれば自由に参観が出来ます。入場前に持ち物検査あります。因みに、年により1〜2日のずれはありますが、秋の公開は11月1日から11月5日までの5日間です。毎年公開のテーマが決められていますので、詳しく宮内庁のは京都御苑のHPを事前に見ておいた方が良いと思います。

秋の人形展
11月01日〜30日 宝鏡寺
【宝鏡寺へのアクセス】

JR京都駅前より市バス9系統で「堀川寺之内」下車徒歩約5分

宝鏡寺は中世京洛に栄えていました尼五山第一位の景愛寺の法灯を今に受け継いでいます。景愛寺第六世でありました光厳天皇(こうごんてんのう)皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼は、宝鏡寺を開山し後光厳天皇より宝鏡寺の号を賜りました。その後多くの皇女が歴代となり、百々御所(どどのごしょ)という御所号も賜りました。人形の寺とも呼ばれ、毎年春と秋に一般公開もしています。孝明天皇ご遺愛のお人形をはじめ、数多くの由緒あるお人形を保有する宝鏡寺では、昭和32年秋季より春秋に人形展を開いています。毎回、京人形を中心に各地でつくられた新旧人形名品の展示と、各回ごとにテーマを設けた豪華な実物大のお人形の展示を行なっています。

嵯峨菊展
11月01日〜30日 大覚寺
【大覚寺へのアクセス】

JR京都駅から市バス28系統
京都バス71系統で45分
大覚寺下車、徒歩約1分
嵯峨菊は嵯峨天皇の御代、大沢池の菊ケ島に自生していた嵯峨野独特の野菊を永年に育成により洗練したもので、格調高い菊とされます。はじめ平らに咲いたのち、細い花弁が立ち上がって茶筅状になります。ほうき仕立てと七五三作りが正式の仕立て方とされています。色は白、黄、朱、桃などの淡色が多く、あまり混植をしません。凛とした佇まいが、この時期、多くの参拝者の目を楽しませています。嵯峨大覚寺では毎年11月に嵯峨菊展が開始されます。


上卯祭
11月02日 松尾大社
【松尾大社へのアクセス】

阪急嵐山線  松尾駅  徒歩約3分
 
  京都市営バス  松尾大社前

下車徒歩約3分  

「上卯祭」は、毎年11月、上の卯の日に執り行われる醸造安全祈願のお祭りです。卯の字は甘酒、酉の字は酒壺を意味しているので、古来より酒造りは「卯の日」に始め、「酉の日」に完了する慣わしがあり、このお祭りの日取りもこうした昔からの慣習によるものとされています。「上卯祭」当日は、全国の和洋酒、味噌、醤油、酢等の醸造業はもとより、卸小売の人々も参集し、盛大に醸造安全を祈願し、神社より大木札(だいもくさつ)を受けて持ち帰り、各々の蔵に奉斎する慣わしです。また神前に数々の銘酒・醤油等が御供えされます。また4月中酉日には、醸造完了を感謝する中酉祭(ちゅうゆうさい)が執り行われます。また松尾大社では千歳講という江戸時代からの講があり、この講員に対しては上卯祭から中酉祭まで、醸造安全、家内安全、業務繁栄等の祈願が毎朝欠かさずなされているとのことです。

曲水の宴(うたげ)
11月03日 城南宮
【城南宮へのアクセス】

地下鉄烏丸線「竹田駅」から南1・南2・南3系統のバス約5分「城南宮東口」下車、徒歩5分
京曲水の宴(きょくすいのうたげ)は、毎年春(4月29日)と秋(11月3日)に城南宮神苑平安の庭で、14時から15時まで約一時間催されます。歌人には歌題が当日知らされ即興で和歌が作られます。七人の歌人(狩衣姿の公卿五人と小袿姿の女官二人)が和歌を詠み、短冊にしたためます。二人の童子が、平安の庭に流れる小川遣水(やりみず)にお酒の盃を乗せた羽觴(うしょう)を流し、歌人は、羽觴が流れ着くまでに和歌を詠み、お酒をいただく、王朝絵巻の世界です。

秋まつり
11月03日 狸谷山不動院
【狸山不動院へのアクセス】

JR「京都駅」から5系統の市バス「一乗寺下り松町」〜徒歩10分、または叡山電車「一乗寺駅」から徒歩20分

「タヌキダニのお不動さん」の名で知られる狸谷不動院は宮本武蔵が心の剣をみがいたといわれる武蔵之滝があり修行場として信仰されました。交通安全・厄よけ祈願で知られいます。正月三ヶ日には初詣大護摩祈願祭、7月28日には火渡り祭が行われます。又11月3日は秋まつりで山伏による壮大な野外大護摩祈祷が行われます。ごま木に、願いごと・名前・年齢を書き、護摩の炎が上がった時に山伏に手渡すと、その場でお焚き上げしてもらえます。また、力だんごの無料接待(午前10時より先着1000人)も行われます。建立:1718(享保3)年です。

久我神社秋祭
11月03日 久我神社
【久我神社へのアクセス】

市バス4、9、37系統・京都バス
「下岸町」下車徒歩約3分

市バス46系統
「下竹殿町]下車徒歩約1分

久我神社は賀茂別雷神社(上賀茂神社)の境外摂社で、賀茂氏の祖神賀茂建角身命をお祀りしています。御祭神は神武天皇御東征の砌、八咫烏(やたがらす)と化して皇軍を大和へお導きになり、その功によってこの地方を賜り、一族を率いて移住、国土の開発に努められたそうです。当初は神社の付近に御祭神の墳墓があったと伝えられ、また神社を「大宮」と称した為、その前通りを大宮通ということになりました。八咫烏の故事に因んで航空安全、交通安全守護の神として信仰を集めています。境内は市指定史跡です。毎年11月1日〜3日まで、秋の例大祭が執り行われ、1日の本殿祭では、神馬を本殿・拝殿の廻りを3周させる「牽馬の儀式」が行われるそうです。2日は前夜祭で、地域の方々の踊りや、少ないですが夜店が出たりと昔懐かしい雰囲気があります。3日の神輿巡幸は、文字通りお神輿が出ます。大神輿・中神輿・子供神輿の三基が氏子町内を練り歩きます。

火焚祭
11月08日 伏見稲荷大社
【伏見稲荷大社へのアクセス】

JR奈良線”稲荷駅”からすぐ、又は京阪”伏見稲荷駅”より徒歩約5分
13時より本殿蔡が行われ、引き続き千本鳥居横の神苑斎場に場所を移して、14時から火焚蔡(ひたきさい)が行われます。 火焚祭は、五穀豊穣を感謝する神事で秋の収穫の後に行われるます。火焚き神事が行われる祭場では、井桁に組まれた火床で全国から奉納された火焚串数十万本が、参加者も唱える祝詞の中で焚かれます。

嵐山もみじ祭
11月09日(第2日曜日) 嵐山
【嵐山へのアクセス】

JR嵯峨野線・嵯峨嵐山駅より

徒歩約15分

「嵐山もみじ祭」は、昭和22年、嵯峨風土研究会が中心に始めて以来、毎年11月の第2日曜日に行われています。現在は嵐山保勝会が主催していて、天下の名勝と謳われる嵐山 小倉山のもみじの美しさを讃え、辺り一帯を守護する嵐山蔵王権現に感謝する行事です。渡月橋上流の大堰川に浮かべた色とりどりの船上舞台では嵐山にゆかりの深い多くの史跡や文化・芸能の優雅な絵巻模様を再現します。三船祭同様に多くの船が浮かべられて歌舞音曲を競い、河畔での狂言上演や島原太夫のお練りなどが艶やかに繰り広げられます。




火焚祭
11月13日(第2日曜日) 花山稲荷神社
【花山稲荷神社へのアクセス】

京阪バス「花山稲荷」下車
徒歩約5分
京都の11月はあちりこちらで、お火焚祭でにぎわいます。花山稲荷神社は佳三京都の東部に位置し、醍醐天皇の勅命によって勧請・創建された稲荷神社です。『花山稲荷神社』でも【お火焚祭】が斎行されます。花山稲荷神社のお火焚祭は『ふいご祭』とも称され、三条小鍛治の故事に基づいて、火焚串がふいごの形に積上げられる珍しいお火焚祭です。火焚祭の斎行に際し、祓いも執り行われ、本殿祭が行われます。諸儀が行われ、神楽の奉納も行われます。その後、御神灯を持って、火炉へと移ります。多くの人が見守る中、火炉でも神楽が奉納されます。火炉は、ふいごの形に積み上げられているので、上方に勢いよく炎が上がります。神職の皆さんによって、大祓詞が奏され、人々も見守る中、ふいご祭は静かに終了を迎え、お火焚きの火が緩む頃にみかんが投げ込まれます。投げ込まれたみかんは、風邪薬として参拝者が持ち帰ります

うるし祭
11月13日 虚空蔵法輪寺
【虚空蔵法輪寺へのアクセス】
JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」
下車徒歩約15分

京福電鉄「嵐山駅」
下車徒歩約10分

文徳天皇の皇子、惟喬親王がうるしの製法や漆器の製造法の技術発展を祈願して法輪寺に参籠したところ、本尊の虚空菩薩のお告げがあり、技法完成の伝授を受けられたと伝えられています。以来、うるし関係者は親王が参籠された満願日である11月13日に報恩講(通称 うるし祭)を行い、供養を行っています。本尊の虚空蔵菩薩は漆器業、工芸技術の守護仏といわれ、うるしへの感謝を込めて行われます。当日は、奉納狂言もあります。

まねき書き
11月初旬 妙傳寺
【妙傳寺へのアクセス】

京阪三条駅から徒歩約10分
 

地下鉄東西線 東山駅から徒歩約5分

 師走恒例の吉例顔見世興行(30日〜12月25日)を前に、出演する歌舞伎役者の名前を看板に書き込む「まねき書き」が7日、京都市左京区の妙傳寺(みょうでんじ)で始まる。書家の井上優(まさる)さんが、独特の丸みを帯びた「勘亭(かんてい)流」の文字を次々と書き上げて行く。看板はヒノキ製で、長さ1.8メートル、幅30センチ。板いっぱいに書き込まれた太く力強い文字には「隙間(すきま)無くお客様が入りますように」という願いが込められているという。

夕霧祭
11月14日 清涼寺
【清涼寺へのアクセス】

JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅より

徒歩15分

音曲、舞踊、茶、花、和歌などあらゆる技芸に通じ、さらにその美貌で江戸の高尾、京の吉野と並び人気を集めた大阪の名妓・夕霧太夫は近松門左衛門の「夕霧七年忌」のモデルにもなったほどの名妓です。夕霧は嵯峨中院の生まれで俗名を「てる」とも伝えられています。京都島原(下京区西新屋敷にあった花街の俗称)廓の扇屋四郎兵衛の抱え遊女となり、その後の寛文2年(1662)扇屋が大阪新町廓に移り、江戸の高尾、京の吉野と並び名妓夕霧はたちまち大阪髄一の全盛をうたわれたといいます。彼女は、延宝6年正月6日、26歳にしてその生涯を閉じました。夕霧供養では、島原の太夫を招いて本堂で法要を行い、その後太夫は禿(かむろ)を従え墓地まで道中し、花を供えてお参りをします。

空也開山忌
11月14日 空也堂(光勝寺極楽院)
【光勝寺へのアクセス】

京都市バス「堀川蛸薬師」下車
すぐ

「空也堂」(くうやどう)とは、紫雲山光勝寺極楽院と号する天台宗の寺で、「空也」を本尊とするため空也堂と呼ばれます。天慶2年(939)空也上人の開創と伝わり、当初は、三条櫛笥にあったので「櫛笥道場」とも、「市中道場」とも呼ばれました。平安中期の念仏僧「空也」は、鐘を叩き念仏を唱えて全国を行脚し、仏教の庶民層への布教に尽力する傍ら、橋を架け、道路や井戸を整備し、野にある死骸を火葬して荼毘に付すなど社会事業も行いました。空也は「市聖(いちのひじり)阿弥陀聖」とも称され、後の「一遍」をはじめとする布教僧等に大きな影響を与えました。市中に疫病が流行したとき、自ら「十一面観音像」(六波羅密寺の本尊・重要文化財)を拝み、それを車に乗せて洛中を引き、薬湯の茶を病人に与えて病人を救ったと伝わります。これが「王服茶笑」の起こりです。毎年11月第2日曜日に空也上人を偲んで開山忌(空也忌)の法要が営まれます。王服(おうぶく)茶の献茶式の後、空也僧による「歓喜踊躍(かんぎゆやく)念仏」と「六斎(ろくさい)念仏焼香式」が奉修されます。「京都の六斎念仏」は、重要無形民俗文化財に指定されています



火焚祭
11月14日 新日吉神社
【新日吉神社へのアクセス】

市バス206・208「東山七条」徒歩約10分
平安時代末期から宮中の御産祈願に行われたという里神楽や湯立て神楽などが奉納されます。金物の神と知られる古社では、平安中期刀匠三条小鍛冶六郎宗近がこの地に「ふいご」を築き、祭神の神力を受けた3人の童の助けで名剣「小狐丸」(こぎつねまる)を鍛えたとの故事にちなみ、火焚串を美しい「ふいご」の形に積み上げ、火の勢いが衰えた頃ミカンを投げ入れます。焚かれたミカンは中風封じや風邪薬の効能があるとか。農耕に鉄器が不可欠であったことから稲荷の神を勧請し、五穀豊穣を祈るお祭です。火焚串奉納者には「おひたき(ミカン、まんじゅう、おこし)」がお下がりとしていただけます。



採燈大護摩供厳修
11月15日 法住寺
【法住寺へのアクセス】

京阪本線 七条駅 徒歩10分
JR京都駅 徒歩20分
市バス 博物館三十三間堂前または
 東山七条 徒歩3?4分

毎年11月15日、東山区三十三間堂東側にある身代不動尊・法住寺で、身代不動尊大祭・採燈大護摩供厳修が営まれます。法住寺の大護摩供養は、鬼法楽や山伏問答など珍しい儀式のある護摩供養です。午後1時より、能管と琴による奉納が行われ、続いて同寺裏にある後白河天皇陵へ住職以下山伏たちが参拝し、午後2時より境内で般若心経が唱えられた後、採燈大護摩供厳修が始まります。まず、天狗が不動堂前に設置された護摩の周りを参拝客の頭上にカラフルな短冊が付いた杖をかざしながら一周します。天狗による儀式が終わると、松明を持った赤鬼を先頭に、剣を持った緑鬼、まさかりを手にした黒鬼が、「ドンドン」と鳴らされる拍子に合わせて周り、続いて山伏による問答が行われます。その後護摩供養が行われます。境内では、温かい笹酒やうどんの無料接待もあり、皆さん大祭を楽しんでいました。



小町祭
11月15日〜30日 随心院
【随心院へのアクセス】

京都市地下鉄東西線「小野駅」

から徒歩約5分

隨心院は通称で小町縁の寺と言われています。この地に小町が晩年の余生を過したと言われています。「小町化粧の井戸」や「文塚」、そして「百夜通い」の話は小町がこの地で過した所以となっています。これに因み、毎年11月15日から30日まで”小町祭”が開催されます。期間中の11月24日には世界三大美人の一人にも数えられる小野小町の顕彰と、『隨心院=小野小町』ということの宣伝も兼ねて”随心院ミス小町コンテスト”が開催されます。ミス・準ミスに認定された方は、隨心院及び隨心院関連の法要・行事にも参加します。




聖天様の大根供養
11月22日 覚勝院
【覚勝院へのアクセス】

京都バス 大覚寺 徒歩約2分
右京区、大覚寺の塔頭寺院・覚勝院では、毎年11月の第三土曜日・日曜日に「歓喜天大根供養」が営まれます。聖天様と呼ばれる歓喜天が喜ぶお供え物は、酒に団子、そして大根です。大根は、心身の毒を取り除いてくれる薬でもあります。訪れた人たちは、境内で炊き揚げられた温かい大根をホクホクと食べ、歓喜天の誓願である人生を楽しく暮らすことを願います。


火焚祭
11月22日 広隆寺
【広隆寺へのアクセス】

京福電鉄:太秦広隆寺駅→徒歩すぐ

広隆寺では聖徳太子の命日の11月22日に聖徳太子を祖神と仰ぐ建築・建具・機織職などの信者のお火焚祭が行われます。境内の一隅に斎竹が立てられ、本堂で法会が行われた後、信者から奉納された護摩木が焚き上げられます。11月の京都の風物詩であるお火焚祭ですが、この日は秘仏聖徳太子尊像が特別開帳されるとあって多くの人が訪れます。爽やかな錦秋の古都を満喫出来ました。



泉涌寺窯もみじ祭
11月22日〜30日 泉涌寺周辺
【泉涌寺へのアクセス】

市バス泉涌寺道バス停下車、総門まで徒歩約5分、大門まで徒歩約10分

紅葉の美しい季節、紅葉の名所「東福寺」にほど近い「泉涌寺窯」では約50軒の窯元が、市価の3〜7割引の価格で大陶器市を開催します。また期間中、「陶板焼」をはじめ、各種イベントが行われます。ここ泉涌寺の地では大正時代の初期より約90年間、京焼・清水焼一筋に作陶を生業とし、著名な陶芸家や技の確かな職人さんを輩出して来たとのことです。



筆供養
11月23日 東福寺・正覚庵
【東福寺正覚庵へのアクセス】

JR奈良線東福寺駅、京阪東福寺駅下車徒歩約10分
市バス東福寺下車約8分

東福寺の塔頭、正覚庵は文化年間(1804〜18)に「筆塚」が築かれたことから「筆の寺」とも呼ばれています。当日、本堂で法要を営んだ後、青竹の先を布で包み墨を含ませた「筆神輿」が山伏にかつがれて東福寺山内を練歩き、筆塚の前で護摩が焚かれます。学業上達、文運興隆を祈祷しながら奉納された筆等を護摩火にくべて供養します。この煙を浴びると字が上達すると言われています。

お火焚祭
11月23日 平岡八幡宮
【平岡八幡宮へのアクセス】

市バス 平岡八幡前 徒歩約3分
 JRバス 平岡八幡前(京都駅より約40分) 徒歩約3分
 京福電鉄 高雄口駅 徒歩約20分
平岡八幡宮は高雄山神護寺の守護神として、弘法大師(空海)が大同4年(809年)に創建した山城国最古の八幡宮です。44種類の花が描かれた「花天井」が有名です。また、境内では樹齢200年を超える紅椿、白椿伝説の樹齢150年白椿など約200種を鑑賞できます。秋には京の風物詩の一つのお火焚き祭が開催されます。かつては一般家庭や町内でも行われていた「お火焚(ひたき)」の行事は晩秋から初冬にかけての定番行事です。宮中の新嘗祭(にいなめさい/収穫祭)に由来するといわれます。「御火焚祭」など正式な祭事名はそれぞれに異なります。



お火焚祭・義照稲荷
11月23日 義照神社(建勲神社末社)
【建勲神社へのアクセス】

JR京都駅から市バス205系統で
約45分、建勲神社下車
徒歩約3分

地下鉄烏丸線北大路駅から
徒歩約15分

建勲神社境内の北東(丑寅)の鬼門に位置しているのが末社・義照稲荷神社です。稲荷神社といえば伏見稲荷神社が有名ですが、この義照稲荷神社は伏見稲荷大社との関係も深く、奈良時代よりこの船岡山一帯や伏見稲荷山一帯は渡来人の秦一族が暮らし、稲荷信仰を広めたと言われています。義照稲荷神社は秦氏の守護神として、また西陣織などの織物文化の祖神として古くから信仰を集めています。お火焚祭は、秋の収穫/五穀豊穣/厄除け/地域の安全などを願いつつ、護摩木に書かれた諸々の願いを祈願する行事ですが、義照稲荷神社でのお火焚祭は神事の後、参加者は玉串を捧げます。神事が終わると、お火焚祭の説明のみがが行われます。

新嘗祭・火焚祭
11月23日 車折神社
【車折神社へのアクセス】

市バス又は京都バスで「車折神社前」、または京福電車の「車折」駅下車すぐ。

車折神社の新嘗祭・火焚祭では、まず「かまど祓」の神事が執り行われます。「かまど」の守護神である奥津彦神・奥津姫の二神を迎えた後、古式に則り、奉納された火焚串(護摩木)をかまどの形に組み上げ火を着けるもので、五穀の豊穣と、厄災消除など様々な願い事の成就が祈念されます。また、祭典終了後に参拝者・見学者に新米のお粥が無料で振舞われます(先着順)。




火焚祭
11月23日 新熊野神社
【新熊野神社へのアクセス】

市バス「今熊野」下車すぐ
新熊野神社は平安後期、熊野詣盛んな頃、後白河上皇が平清盛に命じ、熊野の神をここに勧請するため、熊野より土砂材木等を運び社域を築き社殿を造営、神域に那智の浜の青白の小石を敷き霊地熊野を再現した熊野の新宮です。創建は1160(永暦元年)境内の大樟は当時熊野より移植した後白河上皇お手植といわれています。又この神社は、日本能楽史上紀元元年といわれる1374(応安7年)観阿弥・世阿弥父子が足利三代将軍義満の面前で「猿楽」を演能した地としても著名です。現本殿は1673(寛文13年)聖護院道寛親王が再建した市指定重要文化財です。毎年11月23日には火焚祭執り行われます。火焚祭の始まりは宮中の新嘗祭(にいなめさい)です。我が国はもともと農業国で、昔の日本人にとって.2月15日の祈年祭(豊作を祈る祭り)と11月23日の新嘗祭(収穫を感謝する祭り)は最も重要な祭りでした。宮中では新米で作った「おかゆ」「お酒」を神に供え、天皇が神とともに食される神事が現在でも行われています。この新嘗祭が民間に伝わったのは室町時代で、それ以降、新米を炊くことから竈の神の祭り、火の神の祭りへと転化していきました。

もみじ祭
11月23日 地主神社
【地主神社へのアクセス】

JR京都駅・近鉄京都駅から市バス206・100系統で12分
「五条坂」「清水道(きよみずみち)」各バス停で下車、徒歩約10分
清水の舞台を出るとすぐ左側

地主神社は清水寺・本殿を抜けて左側の石段を登ったところにあります。場所が清水寺のすぐ脇にあることから明治以前は清水寺の鎮守社として扱われていました。しかし、明治政府の神仏分離令により、明治時代以降独立した神社となりました。地主神社の歴史を紐解くと、起源は清水寺よりも古いようです。社伝によると起源は日本建国以前の神代となっています。この社伝を信じる根拠も残っています、境内にある「恋占いの石」を原子物理学者ボースト博士による科学的年代測定で縄文時代のものであると証明されました。11月23日に地主神社では秋の豊作と縁結びのご利益に感謝し、家内安全・商売繁盛を祈願するお祭りが行われます。もみじの名所として名高い蓬莱山(宝来山)より採れた美しい紅葉を手にした巫女が、神への感謝の意を込めて神楽『もみじの舞』『剣の舞』『扇の舞』を奉納します。枝ぶりのよい紅葉を神前に捧げる献花の儀や、火焚神事なども行われます。



顔見世まねき上げ
11月25日 京都南座
【京都南座へのアクセス】

京阪電車、四条駅下車直ぐ、阪急電鉄河原町駅下車徒歩約3分

京の師走の風物詩、南座の「顔見世興行」を控えた25日朝、出演する歌舞伎役者の名を書いたヒノキ看板を掲げる「まねき上げ」が行われました。今年は十八代目中村勘三郎が全国で続けた襲名披露の最後を飾る公演となります。熱心なファンが見守る中、中村勘三郎さんら40人分の看板47枚がずらり。劇場関係者らが清めの塩をまき、興行の成功を祈りました。看板は縦1.8メートル、横33センチあり、「すき間なくお客様が入りますように」の願いを込めて、丸みを帯びた独特の勘亭流の太文字で書かれています。

御茶壺奉献祭・口切式
11月26日 北野天満宮
【北野天満宮】

JR「京都駅」から50・101系
統のバス「北野天満宮前」下車すぐ

天正15年10月1日に豊臣秀吉公が北野天満官御神前にて自ら点茶し奉献、千利休らをして北野松原にて催した「北野大茶湯」の縁により毎年12月1日に献茶祭が斎行されます。そのお祭りに使われるお茶が毎年木幡(こはた)・宇治・菟道(とどう)・伏見桃山・小倉・八幡・京都・山城等の各茶師より茶壷に入れられ奉献されます。当日、午前11時一の烏居内西側の松向軒前を発した御茶壷行列が本殿到着後、御茶壷奉献祭を斎行し、続いて古式ゆかしく茶壷の口切式が神前にて行われます。奉献に使用される御茶壷は各々由緒ある物ばかりで、唐櫃に入れられて御神前まで運ばれます。この日の御茶壷奉献祭・口切式に始まり12月1日の献茶祭と続く一連の行事が「北野大茶湯」の縁による独特のもので400年余りの歴史をもっています。